メソポタミア文明の歴史(政治)の流れを簡単にまとめてみた

メソポタミア文明の服装(イラスト)

世界史の中で、世界最古とされているメソポタミア文明。

この文明は、最古というだけあって人知を超えた言い伝えや、都市伝説では

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宇宙人によって人間が創られた…!

という噂まであります。

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この時代、多くの古代文明が太陽神(空飛ぶ船に乗ってやって来た)によって様々な事を教わったとされているそうですよ!

果たして、そんな都市伝説は本当なのでしょうか?

この記事では、そこまでの謎に踏み込んで解説はしませんが、

メソポタミア文明の誕生から滅亡までの歴史の流れ

を分かり易く解説して行きたいと思います。

ちなみに、メソポタミア文明がどんな文明であったかの特徴について詳しく知りたい方は、

こちらの記事をお読み下さい。

メソポタミア文明の誕生時期

メソポタミア文明の一番古い歴史は、先史時代と呼ばれる紀元前6000年頃から誕生したとされています。

その始まりの歴史からシュメール文明までの間に、少なくとも3つの文化が栄えていました。

謎に包まれた「シュメール」時代

シュメール人とアッカド人たちは、バビロニアの南部で数多くの都市国家を誕生させました。

そのような都市国家には

キシュ・ニップル・アダブ・シュルッパク・ウンマ・ウルク・ウル

などがあります。

そして、シュメール人とアッカド人たちは、バビロニアを含むメソポタミア全域支配を企みます。

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もうこの時代は、権力者が誕生しては衰退して行くの繰り返しの時代だったんです!

ちなみに、シュメールという都市国家には多くの謎があるので、よく都市伝説でも取り上げられます。

そんなシュメールの謎についてさらに詳しく知りたい方は、

こちらの記事をお読み下さい。

また、シュメール人の侵攻した宗教についても詳しく知りたい方は、

こちらの記事も併せてお読み下さい。

サルゴン王の「アッカド」時代

シュメール人の都市国家が衰退した後に、アッカド帝国を建設したサルゴン王初の統一王朝となります。

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バビロニアの都市バビロンは、このサルゴンさんによって建設されたという伝説もあるほどです。

このサルゴン王の凄いところは、自分たちの都市国家の統治を超えた領域の支配をしたことです。

そして、中央集権国家のアッカド帝国を作りました。

しかし、そんなアッカド帝国も5代目の君主で滅びてしまいます。

この最後の王の時、世はかなり混乱や分裂を引き起こしていたようです。

短かった「ウル第3王朝」時代

アッカド帝国の衰退の後は、ウル第三王朝ウル・ナンムによって建てられメソポタミアを支配しました。

彼は、

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シュメールとアッカドの王

と呼ばれた最初の王です。

また、「ウル・ナンム法典」という法典を最初に書物にした人物でもあります。

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この頃には、正義という概念も形作られていたようで、その概念は後のバビロニアの王が従うべき道徳模範にもなったようです。

しかし、ウル・ナンムの時代は100年ほどしか存続しませんでした。

今で言ったら

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徳川幕府と同じくらいじゃん!

と思うかもしれませんが、この時代は1000年単位の王朝も多くあります。

そう考えると、

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ウル王朝の時代は短命であった

と考えられても不思議ではありません。

この原因は、どうやら2つあるようです。

  1. 西からメソポタミアに移住して来たアムル人の勢力の増加
  2. 東で反乱が起こり鎮圧したが、他の都市が事実上自立してしまった結果、力が大きく衰えた

ここからは争いが絶えず起こり、とうとうウルさんの王朝は滅亡してしまったのです。

ハンムラビの「古バビロニア」時代

バビロニア時代は、「古バビロニア」と「新バビロニア」という2つの時代区分に分かれます。

古バビロニアの時代で代表的な王は、ハンムラビ王です。

彼は「目には目を、歯には歯を」で有名なハンムラビ法典を作らせた王でもあります。

そんなハンムラビ法典の内容についてさらに詳しく知りたい方は、

こちらの記事をお読み下さい。

さらに、初期のバビロニアの歴史についても詳しく知りたい方は、

こちらの記事をお読み下さい。

突然滅亡した「ヒッタイト」時代

現在のトルコにあったヒッタイト帝国により、古バビロニア帝国は滅ぼされます。

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そんなヒッタイトは突然滅亡…。

原因については、

  1. 海の民によって滅ぼされた
  2. 国内の内紛が深刻な食糧難などを引き起こし滅亡

とする説があります。

果たして、その真相はいかに?

こちらの記事で、さらに詳しくヒッタイトの歴史について書いているので、ぜひ読んでみて下さい。

ニネヴェで滅亡「アッシリア」時代

ヒッタイトの衰退に伴いアッシリア帝国が勢力を広げます。

そんな初期のアッシリアの歴史についてさらに詳しく知りたい方は、

こちらの記事をお読み下さい。

その後、アッシリア帝国はオリエント地域(現在で言うところの中東とエジプト)全体を支配する大帝国となりました。

しかし、その後に新バビロニアとメディアの反撃により、首都ニネヴェが陥落して破壊され、アッシリア帝国は滅亡してしまいます。

そんなアッシリア滅亡までの歴史についてさらに詳しく知りたい方は、

これらの記事をお読み下さい。

バビロン捕囚と「4帝国」時代

アッシリア帝国の滅亡後、4帝国時代を迎えます。

4帝国とは、

  1. イラン高原のメディア
  2. メソポタミアの新バビロニア
  3. 小アジアのリディア
  4. エジプト第26王朝

のことを言います。

4帝国の内の1つである「新バビロニア」の歴史についてさらに詳しく知りたい方は、

こちらの記事をお読み下さい。

また、この時代に行われたもっとも有名なものが、ユダヤ人たちを強制移住させた「バビロン捕囚」です。

バビロン捕囚についてさらに詳しく知りたい方は、

こちらの記事をお読み下さい。

アケメネス朝「ペルシア」時代

アケメネス朝ペルシアのキュロス2世が新バビロニアを滅ぼし、メソポタミアを含むオリエント全域を領土とした大帝国を築き上げました。

アケメネス朝の支配は200年ほど続きましたが、最終的にはマケドニア王国アレクサンドロス3世によりアケメネス朝ペルシアは滅亡しました。

そんなアケメネス朝ペルシアについての歴史についてさらに詳しく知りたい方は、

こちらの記事をお読み下さい。

他にも、メソポタミア文明の宗教について詳しく知りたい方は、

こちらの記事も併せてお読み下さい。


参考:メソポタミアバビロニア