メソポタミア文明とは?6つの特徴を簡単にまとめてみた!

メソポタミア文明の服装(イラスト)

メソポタミアは現在のイラクの一部にあたり、実はメソポタミアに生まれた複数の文明を合わせた呼び名なのです。

そんな複数の文明を持つメソポタミア文明について、

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どんな文明なの?

と思う方もいるでしょう。

また、この文明は世界最古というだけあって、人知を超えた言い伝えや

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宇宙人によって人間が創られた…!

という噂まであります。

この時代、多くの古代文明が太陽神(空飛ぶ船に乗ってやって来た)によって様々な事を教わったとされているそうですよ。

果たして、そんな都市伝説は本当なのでしょうか?

メソポタミア文明の謎の成立

紀元前3500年前後にメソポタミア文明がつくられました。

この時代、運河を整備して豊かな農業収穫がありました。

こういった農業文化は、エジプト文明などよりも早かったようです。

豊かな大地・整備された灌漑施設・高度な農耕器具による収穫量は現代とあまり違いがないほどらしいです。

世界最古の文明と言われるからこそ、謎の多い時代でもあります。

例えば、文明の最初の頃に中心となったのは、シュメール人です。

この民族は、どこから来たのか正直よく分かっていません。

よく都市伝説で言われているのは、

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シュメール人たちは宇宙人によって作られた者たち

であるということ。

こう言われるほど、シュメール人のルーツは未だ謎に包まれています。

そんな謎多きシュメールについてさらに詳しく知りたい方は、

こちらの記事をお読み下さい。

古代シュメール文明では、土地が農作物を育てるのに最適な場所だったので、多くの勢力の基盤となりました。

しかし、そんな豊かな暮らしの背後で人々は森林伐採をやり過ぎてしまいます。

現代と同様の環境問題がこの時代にも起きたんですね。

数多くの森林伐採により、砂漠化が起きたのです。

メソポタミア文明の歴史の流れ

そういった問題を抱えたメソポタミア文明では、数多くの民族が誕生しては滅びるという歴史をたどっていきます。

3000年もの間の文明なので、その間に様々な都市国家が誕生していてもおかしくはないですよね。

メソポタミア文明はいつから?

メソポタミア文明の一番古い歴史は、先史時代と呼ばれる紀元前6000年頃から誕生したとされています。

その始まりの歴史からシュメール文明までの間に、少なくとも3つの文化が栄えていました。

謎に包まれた「シュメール」時代

シュメール人とアッカド人たちは、バビロニアの南部で数多くの都市国家を誕生させました。

そのような都市国家には

キシュ・ニップル・アダブ・シュルッパク・ウンマ・ウルク・ウル

などがあります。

そして、シュメール人とアッカド人たちは、バビロニアを含むメソポタミア全域支配を企みます。

もうこの時代は、権力者が誕生しては衰退して行くの繰り返しの時代だったのです。

ちなみに、シュメールという都市国家には多くの謎があるので、よく都市伝説でも取り上げられます。

そんなシュメールの謎についてさらに詳しく知りたい方は、

こちらの記事をお読み下さい。

また、シュメール人の侵攻した宗教についても詳しく知りたい方は、

こちらの記事も併せてお読み下さい。

サルゴン王の「アッカド」時代

シュメール人の都市国家が衰退した後に、アッカド帝国を建設したサルゴン王初の統一王朝となります。

バビロニアの都市バビロンは、このサルゴンさんによって建設されたという伝説もあるほどです。

このサルゴン王の凄いところは、自分たちの都市国家の統治を超えた領域の支配をしたことです。

そして、中央集権国家のアッカド帝国を作りました。

しかし、そんなアッカド帝国も5代目の君主で滅びてしまいます。

この最後の王の時、世はかなり混乱や分裂を引き起こしていたようです。

短かった「ウル第3王朝」時代

アッカド帝国の衰退の後は、ウル第三王朝ウル・ナンムによって建てられメソポタミアを支配しました。

彼は、

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シュメールとアッカドの王

と呼ばれた最初の王です。

また、「ウル・ナンム法典」という法典を最初に書物にした人物でもあります。

この頃には、正義という概念も形作られていたようで、その概念は後のバビロニアの王が従うべき道徳模範にもなったようです。

しかし、ウル・ナンムの時代は100年ほどしか存続しませんでした。

今で言ったら

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徳川幕府と同じくらいじゃん!

と思うかもしれませんが、この時代は1000年単位の王朝も多くあります。

そう考えると、

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ウル王朝の時代は短命であった

と考えられても不思議ではありません。

この原因は、どうやら2つあるようです。

  1. 西からメソポタミアに移住して来たアムル人の勢力の増加
  2. 東で反乱が起こり鎮圧したが、他の都市が事実上自立してしまった結果、力が大きく衰えた

ここからは争いが絶えず起こり、とうとうウルさんの王朝は滅亡してしまったのです。

ハンムラビの「古バビロニア」時代

バビロニア時代は、「古バビロニア」と「新バビロニア」という2つの時代区分に分かれます。

古バビロニアの時代で代表的な王は、ハンムラビ王です。

彼は「目には目を、歯には歯を」で有名なハンムラビ法典を作らせた王でもあります。

そんなハンムラビ法典の内容についてさらに詳しく知りたい方は、

こちらの記事をお読み下さい。

さらに、初期のバビロニアの歴史についても詳しく知りたい方は、

こちらの記事をお読み下さい。

突然滅亡した「ヒッタイト」時代

現在のトルコにあったヒッタイト帝国により、古バビロニア帝国は滅ぼされます。

そんなヒッタイトは突然滅亡…。

原因については、

  1. 海の民によって滅ぼされた
  2. 国内の内紛が深刻な食糧難などを引き起こし滅亡

とする説があります。

果たして、その真相はいかに?

こちらの記事で、さらに詳しくヒッタイトの歴史について書いているので、ぜひ読んでみて下さい。

ニネヴェで滅亡「アッシリア」時代

ヒッタイトの衰退に伴いアッシリア帝国が勢力を広げます。

そんな初期のアッシリアの歴史についてさらに詳しく知りたい方は、

こちらの記事をお読み下さい。

その後、アッシリア帝国はオリエント地域(現在で言うところの中東とエジプト)全体を支配する大帝国となりました。

しかし、その後に新バビロニアとメディアの反撃により、首都ニネヴェが陥落して破壊され、アッシリア帝国は滅亡してしまいます。

そんなアッシリア滅亡までの歴史についてさらに詳しく知りたい方は、

これらの記事をお読み下さい。

バビロン捕囚と「4帝国」時代

アッシリア帝国の滅亡後、4帝国時代を迎えます。

4帝国とは、

  1. イラン高原のメディア
  2. メソポタミアの新バビロニア
  3. 小アジアのリディア
  4. エジプト第26王朝

のことを言います。

4帝国の内の1つである「新バビロニア」の歴史についてさらに詳しく知りたい方は、

こちらの記事をお読み下さい。

また、この時代に行われたもっとも有名なものが、ユダヤ人たちを強制移住させた「バビロン捕囚」です。

バビロン捕囚についてさらに詳しく知りたい方は、

こちらの記事をお読み下さい。

アケメネス朝ペルシアの時代

アケメネス朝ペルシアのキュロス2世が新バビロニアを滅ぼし、メソポタミアを含むオリエント全域を領土とした大帝国を築き上げました。

アケメネス朝の支配は200年ほど続きましたが、最終的にはマケドニア王国アレクサンドロス3世によりアケメネス朝ペルシアは滅亡しました。

そんなアケメネス朝ペルシアについての歴史についてさらに詳しく知りたい方は、

こちらの記事をお読み下さい。

メソポタミア文明が滅びた理由

これほどまでに長く続いた古代メソポタミア文明は、紀元前4世紀アレクサンドロス3世東方遠征によって終わりを迎えます。

この東方遠征について詳しく知りたい方は、

こちらの記事も併せてお読み下さいませ。

アレクサンドロス3世の東方遠征後、メソポタミア文明は古代オリエント(中東)とギリシアの文化を融合した「ヘレニズム」の世界の一部となって行くのです。

他にも、メソポタミア文明の宗教について詳しく知りたい方は、

こちらの記事も併せてお読み下さい。

メソポタミア文明の宗教の特徴

メソポタミア文明には、エジプトピラミッドのような「ジッグラト」と呼ばれるものがあります。

これが一体どのような目的で作られたのかは、未だ謎に包まれています。

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おそらく、神の為の「神殿」のような役割を担っていたのではないか?

という可能性が高いとされています。

そんなジッグラトを中心に、巨大な都市国家が誕生して行きました。

旧約聖書との関連も深いのがメソポタミア文明の特徴の1つです。

ユダヤ教キリスト教イスラム教に共通して出て来る最初の預言者アブラハムはメソポタミアの都市ウル出身と言われています。

アブラハムについて詳しく知りたい方は、

こちらの記事も併せてお読み下さいませ。

その他にも、

というように、

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旧約聖書の物語はメソポタミアをメインとした逸話では?

という説もあるようです。

そんなメソポタミア神話について、さらに詳しく知りたい方は

こちらの記事も併せてお読み下さいませ。

メソポタミア文明で発明されたもの

メソポタミア文明の暦は「太陰太陽暦」を使いました。

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太陰太陽暦って何?

と思った方は、

こちらの記事を参考にしてみて下さい。

また、太陰太陽暦の暦と共に「占星術」も発達しました。

占星術についてさらに詳しく知りたい方は、

こちらの記事をお読み下さい。

ちなみに、計算方法である「六十進法」もメソポタミア文明で生まれたもので、現在の時間の単位にも用使われています。

六十進法についてさらに詳しく知りたい方は、

こちらの記事も併せてお読み下さい。

メソポタミア文明の楔形文字

文字は楔形文字を使用しました。

こんな文字ですね。

メソポタミア文明の楔形文字

(出典:https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Cuneiform_script.jpg )

この言語が西アジア一帯で広まり、記録媒体では粘土板が使われました。

あの「目には目を、歯には歯を」の復讐法で有名なハンムラビ法典も、楔形文字で書かれたようですよ。

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ハンムラビ法典?何それ??

と思った方は、

こちらの記事も読んでおきましょう。

各都市に文書を扱う書記を養成するための学校が設立されましたが、識字能力はこの時代では特別なものでした。

一般市民や王侯貴族でさえも、文字の読み書きはほとんど出来ませんでした。

まれに識字能力を持った王が出現した場合、その能力を高めに評価した記録が残っているようですよ。

メソポタミア文明の交易経済

メソポタミアでの資源は、基本的に不足していました。

なので、周辺地域との交易は資源確保のためとても重要だったんですね。

交易範囲はとても広く、エジプト文明インダス文明とも交易があったと考えられています。

この頃から、中東地域で有名なバザール(市場)での販売が行われていました。

バビロニア古代ギリシアの市場制度は違ったために、アケメネス朝ペルシアの初代王キュロス2世

メソポタミア(バビロニア)の王様画像

ギリシア人の市場ややこし!

と理解せず非難していたそうな。

そんなキュロス2世について詳しく知りたい方は、

こちらの記事をお読み下さい。


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参考:『メソポタミア』・『バビロニア