メソポタミア神話を徹底解説!旧約聖書との繋がりとは?

メソポタミア神話を徹底解説!旧約聖書との繋がりとは?

シュメール人、アッカド人、バビロニア人アッシリア人、アラム人、カルデア人の信仰した宗教。それが、メソポタミア神話です。現代のイラク、クウェート、トルコ南東部、シリア北東部にあたるメソポタミアとよばれる地域で、紀元前4000年あたりに有名な宗教でした。

メソポタミア神話の歴史

メソポタミア神話は多神教です。2,100の神々が信仰を集めていました。数千年も生き残り続けたこの宗教も、どんどんと衰退して行き、東方教会ユダヤ教マニ教グノーシス主義に取って替わられて行きました。

そんなメソポタミアの宗教は、統制や体系化がされていません。さらに、宗教に関する文献(聖典)がメソポタミアの世界でどのような役割を持っていたのかが分かってません。

山田花子画像

なので、この分野の研究は非常に困難となっています。

ここでは、メソポタミアの宗教で分かっている事を、簡単に紹介して行きますね!

シュメール神話

メソポタミア神話に大きく影響を与えた人類初の神話と言っても良いかもしれません。詳しくは、

を読んでみて下さい。

バビロニア神話

宗教が身近な存在であった世界。それが、バビロニアの世でした。バビロニアもまた、シュメールの神々を信仰しました。

シュメール時代から神々と人間の間を取り次ぐ「個人神」という存在がいました。

アッシリアの宗教

アッシリアでは、政治の統治システムがしっかりとしていました。なので、今までの君主制の王(人間)が神みたいにはなりませんでした。

人間の王は、都市の土地神アッシュール(リーダー)の執事(副リーダー)みたいな存在だったのです。司祭が、

司祭画像

神々は現在の支配者に満足している

と人々を納得させていれば、王の権威は絶対的でした。このシステムは、小さい都市国家に住む人々にとって斬新でした。

一方、バビロンの守護神マルドゥクとは、常にライバル関係にありました。

その後のメソポタミア

メソポタミアが終焉した後、紀元前330年には、古代ギリシアマケドニア王国のアレクサンドロス3世アケメネス朝ペルシアを打ち破り、メソポタミアを支配しました。この間でも、バビロニアアッシリアは何とか生き残ります。

紀元後1世紀になると、キリスト教ユダヤ教が次第に普及し始めます。この時代には、グノーシス主義サービア教や現代にも残るマンダ教など他の宗教も注目を集めました。その中でも、メソポタミア土着の信仰は庶民の間に残りました。

3世紀には、様々な宗教とメソポタミア土着の要素も含んだマニ教が生まれました。これは、新しいメソポタミア土着の宗教とも言えます。アッシュールへの信仰は、少なくとも17世紀まであったようです。

特にアッシリアは、メソポタミアとキリスト教の宗教が混ざった中心地でした。しかし、7世紀にイスラムを信仰するアラブ人達によりイスラム教が取って替わりました。そして、700年の間にアッシリア人は、マイノリティへと追いやられていったのです。

そして14世紀。ティムールにより、アッシリア人の虐殺がありました。都市アッシュルが放棄され、それ以来アッシリア人は表舞台から姿を消したのです。

しかし、現在でもアラブ化に抵抗した新アラム語を話す人はわずかにいます。彼らはキリスト教徒ですが、新アラム語はメソポタミアの言語に多くの起源を持ちます。

また、子供の名前には古代からの名前を使ったり、アッシリア歴を未だに使ったりと、今でもメソポタミアの宗教は生き残っているのです。

神殿ジッグラトの生活

都市の土地自体が神とされた時代。住居もまた、当然のように重要でした。そんな神々の町でひときわ大規模で目を引いたのが「ジッグラト」でした。メソポタミアのこの神殿は、神の住まう場所として建てられました。

ジッグラトは階段状の塔で、もちろんその階段を登る事も出来ました。神々が、天国と地上を行き来するための階段を象徴していると言われています。他には、死んだ神がよみがえるまで神殿で埋葬されるとする説もあります。

山田花子画像

ジッグラトには、それぞれ「天と地のなんちゃら」みたいな固有名詞が付いていたそうです。

神殿には数多くの聖職者がいました。宗教儀式に関わるという以外、生活は一般人と何ら変わりませんでした。

ですが、身分の高い一部の女性神官は例外でした。神に身を捧げたとして、子供を持つことを禁じられたのです。そういった特別な神官以外は、男女の違いに関係なく職務があり、組織ごとに長がいました。

神との聖婚とは?

バビロニアの宗教行事では、「聖婚」と呼ばれる儀式がありました。これは、2つの意味合いがあります。

一つ目は、神同士の結婚であり、2柱の神の「結婚」の儀式です。柱とは、神様の人数の単位を表します。これは寝台に神像を並べる事で結婚としたんです。

もう一つ目は、人間と神(代理の神官)の結婚で、代表的なものがイシュタル女神と神格化された王の結婚です。ですが、この記録は全て文学テキストからです。なので、実際にイシュタル代理の女性神官と王の間で現実に結婚が成立したかは不明です。

宗教の中に売春?

バビロニアでは、宗教と売春は似たようなものでした。

山田花子画像

意外過ぎますね。

ですが、宗教グループの女性と娼婦は一緒にされていました。

イシュタルというポピュラーな神は、性愛の女神かつ娼婦の守護神でした。実際に、女性神官の職務は売春も含まれていたと考えられています。

しかし、イシュタル女神を崇拝する女性たちは例外でした。

良家から若いうちに神に捧げられ、子供を持つことを禁じられました。神殿で隔離されていたので、居場所はその集団生活しかなかったのです。

しかし、教養は高かったので、彼女たちの多くの詩歌や手紙が残されいます。

こういった職は、何も女性だけではありませんでした。男性でもイシュタル女神を称える儀式の中で女装し、性的かつ宗教的な舞踊に参加したのです。

山田花子画像

今で言う、ニューハーフでしょう。

ただし、彼らは聖職者集団の外部の者たちで、儀式の時にだけ呼び出されたようです。

メソポタミア信仰への考え方

メソポタミアでは、人は神により造られました。神々は命の源という考え方なので、病気や健康、人の運命さえも左右すると信じられていました。

また、人は神々に仕えるものとして造られたので、神は長であり、人は使用人(奴隷)と見なされていました。

山田花子画像

人にとって神は身近な存在でもあり、畏れでもあったのです。

宗教や儀式は義務のようなものでしたが、信仰する神を乗り換えるようなこともあったので、そこまで厳しくはなかったのかもしれません。

神々への信仰の対価は、成功や長寿でした。一方で罪は、自分本位に生きることを望む気持ちであり、神々の怒りを買う行為であると説明されています。

また、罰は病気や不運であり、無意識のうちに人は罪を犯しうるものだと考えられていました。この考え方は国や歴史にも当てはめられ、戦争や自然災害は神からの罰として扱われていたのです。

一方、性に関しては寛容でした。バビロンでは、同性愛、異性装、そして娼婦、男娼が受け入れられていたのです。

山田花子画像

舞踊での女装とかも、典型的な性の寛容さでしたよね。

性の女神で代表的なのが、お馴染みイシュタル女神です。彼女のために、「性的逸脱」の祭祀が捧げられていました。

性的逸脱とは、

人々画像

イナンナに禁じられているものは何もない

と考え規範の性を超えた事をあえて行うことです。この事により、人目を気にしている日常から、新たな世界へ至ると信じられていました。

旧約聖書との繋がりとは?

宗教の共有していた価値観の多くや教義の込み入った内容は、長い年月と共に忘れ去られています。

しかし、多くの文献は残っているのです。そういった文献を再構築する事によって、メソポタミアの宗教が後の宗教に大きな影響を与えている事が分かります。

その影響はユダヤ教キリスト教マンダ教イスラム教などの一神教にも及んでいます。

最古の文字が楔形文字と言われているので、メソポタミアの宗教は文字として残された最古の宗教と言えます。ある学者はメソポタミアの人々について、

学者画像

彼らの残したほとんど全てから、彼らの宗教観について知ることができる。すっかり信仰に染まった人々であったのであろう。

と言っています。文字の文献が多く残されている中で、宗教関係がほとんどだった事から、かなり信仰心の熱い人たちが多かったのでしょうね。

さらに、メソポタミアの宗教は旧約聖書を通じて現代の世界に支配的な影響を与えています。旧約聖書由来のストーリーは、初期のメソポタミアの神話をベースにしている可能性があります。

特に『ギルガメシュ叙事詩』は大洪水とノアの方舟バベルの塔アッシリアバビロニアのジッグラトが元となっていると考えられています。そんなギルガメシュ叙事詩についてさらに詳しく知りたい方は、

こちらの記事も併せてお読み下さいませ。

聖書の中の人物にも、多くの類似性があります。モーセの出自に関してはアッカドのサルゴン王との類似性(2人共生まれてすぐに川に流される等)が、モーセの十戒アッシリアバビロニアの律令との類似性が見られます。

旧約聖書との繋がりが大きいメソポタミア神話。そんな神話の神々が、意外と人間味のあるジェンダーフリーな宗教だったとは思いもよりませんでした。

さらに、メソポタミア神話に登場する神々の特徴について書いた記事もります。

よければ、こちらの記事も読んでみて下さい。


参考:メソポタミア神話バビロニア