マケドニア王国とは?建国の始まりから滅亡までの6つの歴史

アレクサンドロス大王っぽい画像

マケドニア王国は古代ギリシア人によって建てられた国です。

マケドニア王国と言えば、あの有名なアレクサンドロス大王を生み出した国でもあります。

ちなみに、アレクサンドロス大王について詳しく知りたい方は、

先にこちらの記事をお読み下さい。

果たして、どのようにしてマケドニア王国は歴史人物の偉人を生み出し発展していったのでしょうか?

この記事では、そんなマケドニア王国の歴史について詳しくまとめてみました!

マケドニアの建国神話

色々説はあるようですが、最も有名なものはヘロドトスが伝えるものです。

ヘロドトスは『歴史』という著作の中で当時の歴史について書いています。

その著作について詳しく知りたい方は、

こちらも併せてお読み下さいませ。

そんなヘロドトスの話によると、ギリシャ神話に登場するヘーラクレースのひ孫であったテメノスが、100の目を持つ巨人アルゴスの王位を継承したんですね。

そんなテメノスの子供たちが王位継承を巡って争いを起こしました。

この時、ペルディッカス1世(後のマケドニア王国の創始者)はこの王位継承争いに負けてしまいます。

その後、ペルディッカス1世は兄たちと一緒にあるマケドニアの町に逃げ込みました。

そして、この町の王に雇われました。

しかし、ある出来事が起こったのです。

ある日、ペルディッカス1世のパンだけ焼く時に2倍の大きさに膨れ上がりました。

その状況を見た王は、

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え、これ不吉過ぎない?彼ら兄弟は、もしかしたらわが町に何か災いをもたらすかもしれない…。出てってくれないかね?

と王は不吉な予兆と思い込み、ペルディッカス1世を含む兄たちに国外退去を命じました。

ペルディッカス1世は兄たちを引き連れて歩き続けました。

最終的にたどり着いたのは「ミダスの園」と呼ばれる場所です。

そこに住み着き、拠点として周囲を征服します。

ここでマケドニア王家を起こしました。

この建国神話により、マケドニア王家は巨人アルゴスを故郷とし、さらに英雄ヘーラクレースの正当な血を引き継ぐ血筋であると信じたのです。

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そんな誇れるほどヘーラクレースって凄かったの?

と思った方はこちらの記事も併せてお読み下さい。

ギリシャ神話の『ヘーラクレース』のあらすじを簡単に解説!

マケドニア王国の成立

マケドニア最初の王朝はアルゲアス朝です。

都市国家を建てず、一夫多妻制を採用するなど、他の古代ギリシア地域とは違った政策を取っていました。

しかし、言語と宗教は古代ギリシアのポリス(都市国家)たちと同じでした。

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俺たち、ヘーラクレースの血を受け継いでるんだぜぇ!!

とアルゲアス朝はそう言って、当時のマケドニア王アレクサンドロス1世はそれを理由に古代オリンピックにも参加しました。

古代オリンピックについて詳しく知りたい方は、

こちらの記事をお読み下さい。

戦争と親ギリシア政策

マケドニアはギリシアアケメネス朝ペルシアの中間地点にありました。

人々画像

俺たちはギリシア人

という自覚はありましたが、ペルシア戦争ではアレクサンドロス1世の時にペルシア側を味方しました。

ペルシア戦争について詳しく知りたい方は、

こちらの記事も併せてお読み下さいませ。

そんなペルシア寄りのマケドニアでしたが、ペルシア戦争中も親ギリシアの姿勢は崩しませんでした。

このペルシア戦争ではアケメネス朝ペルシア敗北しました。

戦後、ギリシア地域でのペルシアの影響力は衰え、元々親ギリシアのマケドニアはさらにギリシアとの友好関係を強めました。

しかし、そんな親ギリシアのマケドニアも、ギリシアの大きなポリス(都市国家)であったスパルタ vs アテナイのペロポネソス戦争には参加しませんでした。

ペロポネソス戦争について詳しく知りたい方は、

こちらの記事も併せてお読み下さいませ。

コリントス同盟の結成

アレクサンドロス大王の父であったピリッポス2世

彼には兄が元々おり、その兄がマケドニアの王様を務めていました。

しかし、兄が戦死してしまい彼の息子が王となりますが、すぐにピリッポス2世が次のマケドニア王となります。

ピリッポス2世は当時の強国であったポリスの一つテーバイに3年間人質として滞在していたことがあります。

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なるほどね、テーバイの政治や軍事はこうなってるのか!

とその間に色々と学び、後にマケドニアにもギリシアの先進文化を取り入れ、国の政治を改革して行きました。

その結果、カイロネイアの戦いではアテナイ・テーバイ連合軍に勝利します。

そして、スパルタを除いた全ギリシア統一のコリントス同盟を結成し、ピリッポス2世はその盟主(リーダー)となったのです。

そんなカイロネイアの戦いからコリントス同盟の流れを詳しく知りたい方は、

こちらの記事も併せてお読み下さいませ。

アレクサンドロス大王

父であるピリッポス2世は暗殺され、その息子アレクサンドロス3世(大王)が父の後を継ぎました。

アレクサンドロス大王はペルシアに向けて(東方)遠征を開始します。

そして、イッソスの戦いとアルベラの戦いによりペルシア王ダレイオス3世の軍を打ち破り、見事ペルシアを征服することが出来たのでした。

イッソスの戦いとアルベラの戦いについて詳しく知りたい方は、

こちらの記事をお読み下さい。

ペルシアを征服した後も、アレクサンドロス大王はさらに東へ遠征を続けインド付近まで支配しました。

そんな彼の行った東方遠征について詳しく知りたい方は、

こちらの記事をお読み下さい。

この東方遠征による世界帝国の実現によって、ギリシア文化と古代オリエント(現代で言う中東)の文化が混ぜ合わさりました。

それだけでなく、文化交流や民族の融合も活発となりました。

これを「ヘレニズム」と言います。

アレクサンドロス大王による影響は他にもまだまだあります。

さらに彼の偉業について詳しく知りたい方は、

こちらの記事をお読み下さい。

戦争とマケドニア滅亡

戦略家の天才であったアレクサンドロス大王でしたが、彼は後継者を決めないまま急死してしまいます。

これが後の後継者争い、さらには戦争にまで発展しました。

これを「ディアドコイ戦争」と言います。

長い間戦いは止まず、共和政ローマに吸収されるまで戦争を続けました。

その後、マケドニアは地中海世界に勢力を拡大する共和政ローマの圧力に直面することになりました。

共和政ローマと何度か戦争を行いましたが、続けるほど状況は悪化していきます。

最終的には、敗北して4つの共和国に分割されてしまうのです。

この第4次まで渡った戦争を「マケドニア戦争」と言います。

最後の第4次マケドニア戦争が終わると、マケドニアはローマの属州の一つ(マケドニア属州)となったのです。


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参考:『マケドニア王国』・『ペルディッカス1世