ペロポネソス戦争とは?4つの原因を分かり易く簡単に解説!
ペロポネソス戦争は、アテナイを中心とするデロス同盟とスパルタを中心とするペロポネソス同盟との間に発生した対立がきっかけで起こりました。
この戦争は、古代ギリシアの全域を巻き込むほどの大規模なものでした。そんなデロス同盟とペロポネソス同盟について詳しく知りたい方は、
デロス同盟とペロポネソス同盟の違いを分かりやすく解説!
デロス同盟はアテナイ、ペロポネソス同盟はスパルタを中心とした同盟です。 アテナイとスパルタはお互いに仲が悪かったので、よく対立してました。 それが後に、ペロポネソス戦争へと発展して行きます。 ここでは、2つの同盟の違いや詳細、関係性を詳しく解説してます!
こちらの記事を先にお読み下さいませ。
大規模となったペロポネソス戦争の原因。その最初のきっかけは、ささいな出来事でした。
ペロポネソス戦争のきっかけ
コリントス人によって建設されたケルキュラという都市がありました。

コリントスとは、古代ギリシアにおいてアテナイやスパルタと並ぶほどの主要な都市国家(ポリス)の一つでした。
そして、ケルキュラがさらに発展して出来た小都市がエピダムノスでした。ペロポネソス戦争が起こるきっかけは、この小さな都市から始まったのです。
ケルキュラの救援拒否
エピダムノスは、相次ぐ内紛や周辺民族との争いによりかなり疲弊していました。

どうか、助けてくれませんかね。ケルキュラさん
とケルキュラに対して、紛争の仲裁や兵隊の援助を求めました。しかし、ケルキュラは

はぁ?そんなの俺たちには関係ねぇじゃん。自分らで何とかしてくれよ
とエピダムノスに対して何も援助を与えませんでした。

くっ…、本当に困った。最後に、コリントスさんに頼むしかないか
とエピダムノスはコリントスに助けを求めました。

いいよ!その代わり僕たちの植民都市となってね☆
とコリントスは救援に応じました。この動きを見たケルキュラは、

え、何やっちゃってくれてんの?エピダムノスは元々俺たちの植民都市だよ?
と激怒しました。

元々、ケルキュラもコリントスの植民都市だったんですけどね。
怒ったケルキュラはエピダムノスへ侵攻して、エピダムノスという都市自体を攻め落としてしまいます。
シュボタの海戦
その後も、ケルキュラは各地のコリントスの植民都市に対して略奪を繰り返したのです。

ケルキュラったら、調子乗っちゃって…。今に見てろよ
とコリントスは仕返しの機会を窺いながら、軍備増強を進めていました。

うわ、やばいよ…、コリントス何か本気出して来たよ!アテナイ、助けてくれないか?
とケルキュラはコリントスの本気の動きに恐れをなし、アテナイに助けを求めます。

やれやれ、困ったケルキュラさんですね。ですが、これはペロポネソス同盟と戦うための戦力になるかもしれませんね
とケルキュラに援軍を送り戦闘となります。
ポティダイアの戦い
その翌年。

どうです?武装解除してくれたら、こちらも何もしませんよ
というアテナイの要求を、コリントスの植民都市の一つが拒否します。さらに、デロス同盟から脱退して、ペロポネソス同盟による保護と加盟を求めました。それに対してアテナイは、

やれやれ、大人しく従っていればいいものを
と軍を派遣して、その植民都市を包囲します。

ケルキュラ以外にも、僕たちを邪魔する者がいたんだね
とコリントスとアテナイは対立することになったのです。
ペロポネソス同盟の決断
この頃、ペロポネソス同盟のポリスたちは、アテナイの行動について

もしかして、このまま行くとアテナイは全ギリシア世界を支配するつもりでは…?
という心配をしていました。

自分たちで内政を行うことが大切だ
と考えていたペロポネソス同盟のポリスたちは、アテナイの好戦的な拡張政策が気にくわなかったのです。
こういった背景が原因となり、「デロス同盟対ペロポネソス同盟」という構図が出来上がって行き、ついにペロポネソス同盟会議は、

アテナイ軍による、ペロポネソス同盟加入のポリスに対する略奪や侵略を見逃す訳にはいかぬ。よって、和約の破棄と見なす
として、アテナイとの開戦を決定したのです。
このペロポネソス戦争やその結果についてさらに詳しく知りたい方は、
ペロポネソス戦争でどっちが勝った?【スパルタvsアテネ】
ペロポネソス戦争は、アテナイを中心とするデロス同盟とスパルタを中心とするペロポネソス同盟との間に発生した対立がきっかけで起こりました。 果たして、アテナイとスパルタのどちらが勝利したのでしょうか? ペロポネソス戦争による影響についてもまとめています!
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参考:ペロポネソス戦争