アケメネス朝ペルシアとは?歴史の流れを分かりやすく解説!

アケメネス朝ペルシアっぽい画像

アケメネス朝とは、現在の中東やエジプトである古代オリエントに存在した以下の事を指します。

  • 王朝
  • 帝国
  • 遊牧国家

アケメネス朝ペルシアはシンプルに「ペルシア帝国」とも呼ばれます。

ペルシア人が建設しオリエント世界を統一しました。

ダレイオス1世の時代には広大な世界帝国にまでなったものの、最後はアレクサンドロス大王の遠征軍によって滅ぼされました。

そんなアケメネス朝ペルシアの歴史についてさらに詳しく解説していきます!

ペルシア帝国初代キュロス2世

キュロス2世が生まれた時、当時のアケメネス朝ペルシアはメディア王国に付き従う小王国に過ぎませんでした。

メディア王国はエジプト新バビロニアなどと並ぶ大国でした。

そんなペルシア王国の第7代の王としてキュロス2世は即位し、その後にメディアに反乱を起こし滅ぼします。

そして、さらに新バビロニアを含む国々を滅ぼして行くのです。

そんなキュロス2世についてさらに詳しく知りたい方は、

こちらの記事を読んでみて下さい。

カンビュセス2世がオリエント統一

キュロス2世の死後、彼の息子であるカンビュセス2世が即位し、エジプトを併合して古代オリエント世界を統一します。

しかし、エチオピアへの侵略には失敗しました。

そんなカンビュセス2世は弟のスメルディスを殺害します。

弟殺害の衝撃的なストーリーを含んだカンビュセス2世についてさらに詳しく知りたい方は、

こちらの記事をお読み下さい。

カンビュセス2世が死んでからは色々とありましたが、結果的にはダレイオス1世が次の王の座につきます。

ダレイオス1世とペルシア戦争

ダレイオス1世が即位した後、帝国全土で発生した反乱の鎮圧に追われました。

また、彼は息子であるクセルクセス1世と一緒にギリシア征服を計画してペルシア戦争を起こしました。

そんなダレイオス1世についてさらに詳しく知りたい方は、

こちらの記事を読んで下さい。

ダレイオス1世が亡くなった後もペルシア戦争は続きます。

息子のクセルクセス1世も何度かギリシアの連合軍と戦いますが、結果的にはこの戦争は失敗に終わってしまうのです。

そんなペルシア戦争についてさらに詳しく知りたい方は、

こちらの記事を読んで下さい。

ペルシア帝国滅亡までの道筋

ギリシア人が羨むほどにペルシア帝国には莫大な富がありました。

そして、ペロポネソス戦争の後にペルシア帝国はその富を使ってギリシア世界に干渉します。

ペロポネソス戦争についてさらに詳しく知りたい方は、

こちらの記事をお読み下さい。

メソポタミア(バビロニア)の王様画像

ギリシア人同士が戦って、その共倒れのところを狙おう

という策略がペルシア帝国にはありました。

その一方、ペルシア帝国の内政面では小アジアの反乱に悩まされていました。

また、皇位継承争いも起こっています。

そして、最後の王であるダレイオス3世の代に、アレクサンドロス大王とのアルベラの戦い(ガウガメラの戦い)に敗れてしまいます。

それと同時に、アケメネス朝ペルシアも滅びました。

そんなアルベラの戦いについてさらに詳しく知りたい方は、

こちらの記事を読んで下さい。

アケメネス朝ペルシアは滅んでしまいましたが、アレクサンドロス大王はダレイオス3世の娘と結婚し、

アレクサンドロス大王画像

アケメネス朝の統治制度は引き継ごう

と試みていました。

そんなアレクサンドロス大王についてさらに詳しく知りたい方は、

これらの記事を読んでみて下さい。

メソポタミア文明には、他にもまだまだ数多くの歴史があります。

メソポタミア文明の歴史をさらに詳しく知りたい方は、

こちらの記事も併せてお読み下さいませ。


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参考:『アケメネス朝』・『バビロニア