ペロポネソス戦争でどっちが勝った?【スパルタvsアテネ】

ペロポネソス戦争でどっちが勝った?【スパルタvsアテネ】

ペロポネソス戦争は、アテナイを中心とするデロス同盟とスパルタを中心とするペロポネソス同盟との間に発生した対立がきっかけで起こりました。

この戦争は、古代ギリシアの全域を巻き込むほどの大規模なものでした。そんなデロス同盟とペロポネソス同盟について詳しく知りたい方は、

こちらの記事を先にお読み下さいませ。

また、ペロポネソス戦争きっかけの原因となった出来事については、

こちらの記事をお読み下さいませ。

さて、それではここからペロポネソス戦争突入のお話です。果たして、スパルタとアテナイのどちらが勝利したのでしょうか?

十年戦争でのアテナイの活躍

スパルタ王率いるペロポネソス同盟軍は、アテナイ周辺の地域を侵攻し始めました。それに対してアテナイは、市民全てを城内に避難させ、海上からペロポネソス同盟の本国などを攻撃する作戦を取りました。

ところが、当時流行していた疫病がアテナイでも発生します。そして、市内の治安が乱れ市民の約6分の1が疫病によって死んでしまいます。

それでも、海上でのアテナイの強さは変わりませんでした。その証拠に、スパルタ市民兵を含む292人を捕虜とするなど多くの成果を上げていました。

本来、スパルタ兵は

スパルタ兵画像

決して降伏しない!

というので有名です。

山田花子画像

なので、そのスパルタ兵を降伏させたアテナイ軍は凄かったのです!

ペロポネソス同盟軍は、

ペロポネソス同盟軍画像

くっ…、やはりアテナイは強いか。なので、戦争を止めませんか?

とアテナイに停戦の申し入れをしましたが、

人々画像

冗談だろ?お前たちが戦争をしかけたんじゃないか!こうなったら、俺たちはとことんやるぜぇ!!

とアテナイはこの申し出を拒否します。

しかし、戦局は徐々にペロポネソス同盟側へ傾き始めました。

不完全だったニキアスの和約

その後に、和平を望むアテナイの将軍とスパルタ王が、本当に和平を成立させました。しかし、両国とも決定された領土の返還を守らなかったのです。

したがって、和平を結んだのにペロポネソス戦争を、完全に終わらせることが出来ませんでした。

第二次戦争による戦争の決着

アテナイは、ソクラテスの弟子であったアルキビアデスという政治家によって、ペロポネソス戦争が再開されることになりました。

山田花子画像

アルキビアデスの主導でシケリア遠征を決定しますが、結構無謀な遠征だったようです。

この遠征によってアテナイが不利になったのをきっかけに、ペロポネソス同盟は

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よし!今のうちに、アテナイへの穀物を供給する土地を取り押さえよう!

とその土地を占領します。

そして、数多くの兵力を使ってまで行ったシケリア遠征は、とうとう完全な失敗に終わってしまいます。

この失敗により、デロス同盟に加入していたポリスたちは次々に離れて行き、ペロポネソス同盟が優位となって行ったのです。

それでも、アテナイは予想外にも持ちこたえます。そして、ペロポネソス同盟と渡り合うのです。

何度か海戦では勝利するものの、ついに逆転には至りませんでした。最終的に、最後の海戦でアテナイは包囲され降伏します。そして、ペロポネソス戦争は終結したのです。

ペロポネソス戦争による影響

この戦争は、その後も歴史的な出来事に大きな影響を与えて行きました。その代表的な出来事をご紹介しましょう!

ソクラテスの弁明

戦争の結果、デロス同盟は解放され、アテナイではスパルタ人による恐怖政治であった三十人政権が誕生します。この政治体制に、

人々画像

ふざけんなぁ————!!

とアテナイの将軍を中心に、三十人政権を倒し政権を奪い返します。そして、ペルシア戦争敗戦の原因となったアルキビアデスや、三十人政権の指導者のクリティアスらを弟子に持つソクラテスが裁判にかけられてしまうのです。

このソクラテスについてさらに詳しく知りたい方は、

こちらの記事も併せてお読み下さいませ。

ペルシア帝国の支援

アテナイはデロス同盟の支配者としての地位は失いましたが、有力ポリスとしては存在し続けました。アケメネス朝ペルシアは、アテナイを含むスパルタと敵対するポリスに、

王画像

ほれ、この金を使うのじゃ

と言って、資金援助を行いスパルタに対抗しました。ここから、スパルタやアテナイなどの覇権争いが起こって行きます。

しかし、アテナイはペルシア軍とも戦って打ち破ったりもしています。

山田花子画像

いくら資金援助しても、やはり元々は敵同士ですからね…。

一方、スパルタテーバイというポリスに敗北しギリシアの覇権を失います。しかし、そんなテーバイもそのすぐ後に覇権を失います。

マケドニアの台頭

こうした覇権争いの中、アレクサンドロス大王の父であるフィリッポス2世は戦いに参加しながら、マケドニア王国の影響力を強めて行きました。

古代ギリシアの哲学者であるアリストテレスアレクサンドロス大王の家庭教師となったことも、その後の歴史に大きな影響を与えました。

この2人の関係については、こちらの記事にも載っているので、良ければご覧下さいませ。

カイロネイアの戦いで、マケドニア王国アテナイ・テーバイ連合軍は敗北します。そして、マケドニアの覇権が成立したのです。このカイロネイアの戦いについて詳しく知りたい方は、

こちらの記事も併せてお読み下さいませ。

こうして、ギリシア世界はマケドニア王国の支配下に置かれることになったのです。フィリッポス2世が暗殺され、ちょっと混乱した時期もありましたが、次のアレクサンドロス大王がまた権力をきちんと握ります。

そして、アレクサンドロス大王はとうとうギリシア世界の宿敵ペルシア帝国を倒しに、マケドニア軍を率いて東方遠征へと向かうのでした。この内容についてさらに詳しく知りたい方は、

こちらの記事も併せてお読み下さいませ。


参考:ペロポネソス戦争