カンビュセス2世とは?英雄によるエジプトの征服と挫折

カンビュセス2世とは?英雄によるエジプトの征服と挫折

カンビュセス2世は、アケメネス朝ペルシアの初代王キュロス2世の長男として生まれました。

キュロス2世について詳しく知りたい方は、

こちらの記事をお読み下さい。

父キュロス2世が亡くなると、カンビュセス2世は無事王位を継承します。

しかし、彼の王位期間はあまりに短いものでした。

そんなカンビュセス2世について、ここでは簡単に彼の生涯をまとめてみました。それでは、一緒に見て行きましょう!

カンビュセス2世とは?簡単プロフィール

カンビュセス2世は自分の王位が弟であるスメルディスに奪われてしまうのではないかという疑心暗鬼からスメルディスを殺害してしまいます。

この兄弟殺しのストーリーは別記事にてご紹介していますので、どうぞこちらをご覧ください!

カンビュセス2世は弟のスメルディスを殺すという罪犯した後、酒に溺れてさらに多くの罪を重ね、急に堕落していったとされています。

彼についての歴史的史料は少ないのですが、

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思うままに振る舞う暴君で、酒に溺れてよく残虐な行為をしていたのではないか?

と考えられています。

そんなカンビュセス2世は、なんと同じ両親を持つ妹と結婚しています。その後も、同じ父親で母親が姉妹の長女とも結婚しています。

これは、ゾロアスター教の影響を強く受けた最近親婚が関わっています。近親婚とは、近い親族関係の者同士が婚姻関係を結ぶことです。ペルシアでは、

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家族の性的な結びつきこそが神聖である!

と信じていたのです。

ちなみにこの近親婚ですが、古代エジプトでも行われていました。

かの有名なクレオパトラも実は結婚したのは弟なのです。

気になる方は以下の記事をご覧ください!

カンビュセス2世のエジプト征服と挫折

カンビュセス2世がエジプトを征服したことで有名です。

当時のエジプト王は、

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ギリシアとの同盟関係があるから、ペルシアの攻撃に耐えられる…!!

と思っていました。しかし、増援やギリシア軍の裏切りにより、エジプト軍は壊滅してしまいます。

エジプトの碑文によれば、カンビュセスはファラオの称号と衣装を身に付けることにしたとされています。

つまり、カンビュセス2世はエジプトのファラオ(王様)でもあったということなのです。

しかし、ここからカンビュセスの失敗が続きます。エジプトに続いて、現在のスーダンに位置したクシュの征服を試みます。

ですが、カンビュセスの軍隊は砂漠に苦戦します。そして、深刻な敗北を味わい、帰還を余儀なくされたのです。そこからも、戦いを仕掛けようとしますが、なかなか上手く行っていません。

ちなみに、カンビュセス2世にはこんな噂があります。ヘロドトスによれば、カンビュセスの軍隊が遠征の途中、なんと5万人もの軍が砂漠を横断中、巨大な砂嵐が起こり全員砂に埋まってしまったのだそうです。

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こんなん、神話レベルの話でしょ?

とたいていのエジプト学者は思っていますが、実は多くの人がこの軍隊の亡骸を探し求めたのです。

カンビュセス2世からダレイオス1世へ

カンビュセス2世の死後、その王位はカンビュセス2世の槍持ちだったダレイオス1世へと引き継がれます。

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ダレイオス1世が槍持ちだったというと、なんだか大出世を遂げた人のように思われそうですが、当時の槍持ちとは王に極めて近い人物のみがなることができる位の高い職業でした。

このダレイオス1世の時代にペルシア戦争が引き起こされることになるのです。

ダレイオス1世が残した功績の記事はこちらです。

こうしてアケメネス朝ペルシアは初代のキュロス2世からカンビュセス2世、そしてダレイオス1世へと王位が続いていくのです。

アケメネス朝ペルシアについてまとめて知りたい方は、

こちらの記事も併せてお読み下さいませ。


参考:カンビュセス2世