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カンビュセス2世はアケメネス朝ペルシアの初代王キュロス2世の長男として生まれました。
そんなキュロス2世について詳しく知りたい方は、
『キュロス2世』とは?アケメネス朝ペルシア初代国王の功績
キュロス2世はアケメネス朝ペルシアの初代国王です。彼の功績は古代エジプトを除く全ての古代オリエント諸国を統一し、大帝国を築いたことでした。そんなキュロス2世には、壮絶な過去や英雄としての逸話があった?!分かり易く解説しています!
こちらの記事をお読み下さい。
父キュロス2世が亡くなると、カンビュセス2世は無事王位を継承します。
しかし、彼の王位期間はあまりに短いものでした。
実はカンビュセス2世とかの有名なダレイオス1世との間には色々と噂があります。
カンビュセス2世が実の弟を殺した、とか。
ダレイオス1世は自身の策略によって王になった、とかとか。
そんな彼の生涯とは、一体どのようなものだったのでしょうか?
カンビュセス2世とはどんな人物?
カンビュセス2世は弟であるスメルディスに
![メソポタミア(バビロニア)の王様 メソポタミア(バビロニア)の王様画像](https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEitoPeKkBrfHHc_auvCwyIvIWchkIO_82wJpyXI1WEbUXZ5NHgC3Qfao_aGzDjTx_273nVA_3LIcvkorsF-aqeC9ZyMhWf4pZJcdhSaxx3_zOKFkqBPiq-hFEK0R4HWs0iON9sslZB7gdRe/s100-rw/babylonian-king.jpg)
我の王位が奪われてしまうんじゃ…
という疑心暗鬼から弟スメルディスを殺害してしまいます。
カンビュセス2世はスメルディスを殺すという罪を犯した後、酒に溺れてさらに多くの罪を重ねます。
このように彼は急に堕落していったとされているのです。
カンビュセス2世についての歴史的史料は少ないのですが、
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思うままに振る舞う暴君で、酒に溺れてよく残虐な行為をしていたのではないか?
と考えられています。
そんなカンビュセス2世はなんと同じ両親を持つ妹と結婚しています。
その後も、同じ父親で母親が姉妹の長女とも結婚しています。
これはゾロアスター教の影響を強く受けた最近親婚が関わっています。
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家族の性的な結びつきこそが神聖である!
とペルシアでは信じられていたのです。
ちなみに、この近親婚ですが古代エジプトでも行われていました。
かの有名なクレオパトラも実は結婚したのは弟なのです。
クレオパトラとは?どんな人物かを分かり易くまとめてみた!
絶世の美女と名高いクレオパトラ。彼女は自らを絨毯にくるみ、カエサルの下へ贈り物として届けさせたと言われています。彼女の人生とはどんなものだったのでしょうか?そして、彼女は本当に美女だったのか?分かりやすく解説しています!
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カンビュセス2世のエジプト征服と挫折
カンビュセス2世はエジプトを征服したことで有名です。
![ファラオ ファラオ画像](https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEj1Ji-ipPlkbnrd8-WQ22CpAuXJL7x2tMenNeFPad7daayafkLWua1rN0GsKpjQ-GEZPNpmz2_eAb9-QzxpopHfwIvXCHAdiayZ9zkb91HCI6cWR3Za6cUXNr94ncgmefHX_9ucady1HClY/s100-rw/Pharaoh.jpg)
ギリシアとの同盟関係があるから、ペルシアの攻撃に耐えられる…!!
と当時のエジプト王は思っていました。
しかし、増援やギリシア軍の裏切りによりエジプト軍は壊滅してしまいます。
エジプトの碑文によれば、カンビュセスはファラオの称号と衣装を身に付けることにしたとされています。
つまり、カンビュセス2世はエジプトのファラオ(王様)でもあったということなのです。
しかし、ここからカンビュセスの失敗が続きます。
エジプトに続いて、現在のスーダンに位置したクシュの征服を試みます。
ですが、カンビュセスの軍隊は砂漠に苦戦します。
そして、深刻な敗北を味わい帰還を余儀なくされたのです。
そこからも戦いを仕掛けようとしますが、なかなか上手く行っていません。
ちなみに、カンビュセス2世にはこんな噂があります。
ヘロドトスによれば、カンビュセスの軍隊が遠征の途中、なんと5万人もの軍が砂漠を横断中に巨大な砂嵐が起こり全員砂に埋まってしまったのだそうです。
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こんなん神話レベルの話でしょ?
とたいていのエジプト学者は思っていますが、実は多くの人がこの軍隊の亡骸を探し求めたのです。
カンビュセス2世からダレイオス1世へ
カンビュセス2世からダレイオス1世が王になるまでのお話は、ヘロドトスの『歴史』にある逸話や彼自身が残した『ベヒストゥン碑文』に残っています。
話は似ているので前半は統一したお話を、後半からはストーリーをそれぞれ別バージョンで書いて行きます。
歴史と碑文の共通ストーリー
カンビュセス2世は弟のスメルディス(バルディヤ)を恐れていて、
![メソポタミア(バビロニア)の王様 メソポタミア(バビロニア)の王様画像](https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEitoPeKkBrfHHc_auvCwyIvIWchkIO_82wJpyXI1WEbUXZ5NHgC3Qfao_aGzDjTx_273nVA_3LIcvkorsF-aqeC9ZyMhWf4pZJcdhSaxx3_zOKFkqBPiq-hFEK0R4HWs0iON9sslZB7gdRe/s100-rw/babylonian-king.jpg)
我の王位が奪われてしまうんじゃ…
と疑心暗鬼になっていました。
そして、密かに弟を殺してしまうのです。
この弟スメルディスが死んだ事は、誰にも知らされる事はありませんでした。
しかし、その後に事件は起こります。
カンビュセス2世がエジプトに遠征している最中、民衆の間で不穏な空気が流れたのです。
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スメルディス王子、最近見かけなくね?
そして、ある僧が謀反を起こしたのです。
この僧、どうやって弟のスメルディスの死を知ったかは分かりません。
ですが、彼はこの事件にきちんと目を付けます。
なぜなら、彼にはちゃんと王位を覆す策略があったからです。
ヘロドトスの歴史による記録
なんと、この僧には容姿がスメルディスにそっくりの弟がいました。
しかも、名前もスメルディスと一緒です。
![僧 僧画像](https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjRKtWX92bTdRn4w_dWeBrkNVc2xmsBTV-0RhZnNRnK3gq4v-n4juv-xaFL5AkBqlmMALzPrYJtRl5zu1SA_P_qC2cS2qn7YrAINlMB_iAsUgidUJ8zmQp4qFU9eL35Q_ZTbU1Zlh6Oam5K/s100-rw/monk.jpeg)
(殺害された)スメルディス王子である!
と僧は王国全土にこの弟をそう宣言し、王に仕立て上げたのです。
一方、カンビュセス2世はこの知らせをエジプトからの帰り道シリアで聞かされます。
![メソポタミア(バビロニア)の王様 メソポタミア(バビロニア)の王様画像](https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEitoPeKkBrfHHc_auvCwyIvIWchkIO_82wJpyXI1WEbUXZ5NHgC3Qfao_aGzDjTx_273nVA_3LIcvkorsF-aqeC9ZyMhWf4pZJcdhSaxx3_zOKFkqBPiq-hFEK0R4HWs0iON9sslZB7gdRe/s100-rw/babylonian-king.jpg)
え?誰も知らないはずの事を、何でこの人達知っちゃってるの…?!
彼はめちゃくちゃ慌てうろたえた後、偽スメルディスを倒すため道を急ぎます。
しかし、この焦りが災いしたのでしょうか?
乗馬する時に剣の操作を間違って負傷。
そして、死んでしまうのです。
こうして、僧と偽スメルディスがペルシアの支配権を握ったのとさ。
めでたしめでたし。
じゃないんです!
即位8カ月目に彼らは正体を暴かれ、ダレイオス1世を含む7人の同志はこの兄弟を引きずり落としました。
そして、この7人はこの先の国の行く末を議論しました。
しかし、話はまとまらずゲームで王を決めることにしたのです。
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馬に乗り日の出と共に最初に鳴いた馬に乗っている者を王にする
というルールの基、ダレイオス1世はその時にちょっと汚い作戦を取りました。
その作戦とは馬の世話役と繋がったのです。
そのもくろみにより、彼は王となることに成功したのです。
ベヒストゥン碑文による記録
ベヒストゥン碑文によれば、僧の弟ではなく僧自身が
![僧 僧画像](https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjRKtWX92bTdRn4w_dWeBrkNVc2xmsBTV-0RhZnNRnK3gq4v-n4juv-xaFL5AkBqlmMALzPrYJtRl5zu1SA_P_qC2cS2qn7YrAINlMB_iAsUgidUJ8zmQp4qFU9eL35Q_ZTbU1Zlh6Oam5K/s100-rw/monk.jpeg)
私がカンブジヤ2世の弟バルディヤだ!!
と偽って宣言するのです。
そして、カンブジヤ2世を不審に思っていた民衆はこの僧の味方となっていきます。
ついに、僧は王となったのです。
その後、カンブジヤ2世は寿命が尽きて死んでしまいます。
![僧 僧画像](https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjRKtWX92bTdRn4w_dWeBrkNVc2xmsBTV-0RhZnNRnK3gq4v-n4juv-xaFL5AkBqlmMALzPrYJtRl5zu1SA_P_qC2cS2qn7YrAINlMB_iAsUgidUJ8zmQp4qFU9eL35Q_ZTbU1Zlh6Oam5K/s100-rw/monk.jpeg)
この真実を知っている者たちを、どんどん追放しちゃって!!
と僧はこの嘘を隠し通す為にそう命令します。
このために多くの人達は僧をひどく恐れ、何も口出しする事はなくなったのです。
そんな中、正当な王家出身のダレイオス1世は神に助けを乞い恩寵を得ます。
その結果が僧とその側近たちの殺害でした。
こうしてダレイオス1世は王国を僧から奪回して、神の意思により王となったのでした。
めでたしめでたし。
ダレイオス1世は王位を奪った?
近年では、これらの記録は信用されていません。
と言うのも、
![学者 学者画像](https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjzcXzOh-LwrwgErYnkSynVFLLwp7ENVyen_3BPWGR-SlL0M1PGe9tGTZS6EcFWtQWEQggJDjQ32G64L_zMX83jCEuCTV3CIhY2Hsd6csAQgSdD3yQW_gWVBHVMmrYaErYQMrsgyMNriIvn/s100-rw/gakusha.jpg)
ダレイオス1世が王位を奪い取って即位し、この事実を正当化するためにでっち上げた物語だ
という見方が有力だからです。
なぜなら、この偽スメルディス(ガウマータ)事件の言い伝えには矛盾があるのです。
なので、このダレイオス1世の王位継承までのお話は、
![学者 学者画像](https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjzcXzOh-LwrwgErYnkSynVFLLwp7ENVyen_3BPWGR-SlL0M1PGe9tGTZS6EcFWtQWEQggJDjQ32G64L_zMX83jCEuCTV3CIhY2Hsd6csAQgSdD3yQW_gWVBHVMmrYaErYQMrsgyMNriIvn/s100-rw/gakusha.jpg)
彼のためのプロパガンダである
と思われています。
ダレイオス1世に関する『ベヒストゥン碑文』には、彼の祖先がずらりと書かれているのですが、その中に王となった人物はいないのです。
また、アケメネス朝ペルシアの初代王となったキュロス2世は、
![王様 王様画像](https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjSAWyhq3GVrly5d7jSvgdhqTeck0B_w_FXjX1M6fpdfFqE8OVU32LyhOQxsw4uc7LBUFzaiF9igFtckZTzVas4VZJvv0O-9zDDlQRGvMCEbZVjsiml59f0k1bwAuOhu-KtDFUbuFTGkDm-/s100-rw/nebuchadnezzar-II.jpg)
我はキュロス。偉大なる王にして、カンビュセス(キュロス2世の父親)の子である
としか宣言していません。
彼の主張はキュロス2世までの家系図を見てみると、確かに彼はアケメネス家の末裔であることが分かります。
ダレイオス1世は王位に就いた後、
![古代の男性 古代の男性画像](https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhhwM3pJntAD7bYAFiYLEltRFob89guTBblZJ0BKtEiOLgV5sqrZm473mvdwuXajE8Ew6JN21xQWyx4-16HhTENeaumRJYPtzuygHj5j2JRhSg8mwim9Swfxrvh3mb7z4wRz7czlSpjMj87/s100-rw/ancient-man.jpg)
アケメネス家のキュロスより
とキュロス2世の名前で刻んだ碑文を数多く残しています。
さらに、ダレイオス1世はキュロス2世やカンビュセス2世、スメルディスの妻や娘全員と結婚しています。
このように、王家の血統に対しての執拗なこだわりを見せていたのです。
元はカンビュセスの元槍持ちだったダレイオス1世。
槍持ちだったと言うとなんだか大出世を遂げた人のように思われそうですが、当時の槍持ちとは王に極めて近い人物のみがなることができる位の高い職業でした。
そして、そんな彼の時代から(アケメネス朝)ペルシアの歴史は再スタートしたのです。
また、ダレイオス1世はあの有名なペルシア戦争にも関わったほどの歴史上の偉人です。
そんな彼についてさらに詳しく知りたい方は、
ダレイオス1世は何した人?アケメネス朝王8つの功績まとめ
ペルシア戦争のきっかけを作ったアケメネス朝ペルシア王の第3代目ダレイオス1世。初代王のキュロス2世の血筋に執拗なこだわりを持っていた彼は、元々2代目王のカンビュセス2世の槍持ちでした。そんな成り上がりのダレイオス1世が残した業績を分かり易く解説してみました!
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アケメネス朝ペルシアとは?歴史の流れを分かりやすく解説!
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