
クレオパトラと聞けば皆さんは何を思い浮かべますか。
絶世の美女として有名なクレオパトラ。
彼女は様々な歴史の重要人物と恋仲関係になって国を、歴史を動かしてきました。
そんな彼女の歴史を覗いてみましょう。
クレオパトラ、弟と結婚する
クレオパトラの父親はプトレマイオス12世で、エジプトのファラオ(王)でした。
プトレマイオス12世が亡くなると、クレオパトラは弟であるプトレマイオス13世と結婚し、共同で王位に就きます。

姉弟で結婚なんて…
と思うかもしれませんが、当時の古代エジプトの慣例はそのようになっていたようです。
しかし、この弟と意見が合わない…。
クレオパトラは

ローマとの同盟を強化していくことがエジプトにとっての一番の策だわ
と思っているのですが、弟は

ローマから独立することがエジプトにとって一番の策だ
と思っているのです。
この二人の共同統治ですから、上手くいくわけがない…。
両者の対立が激化するにつれて、エジプトは事実上の内戦状態になってしまうのです。
この二人の間に立ったのがローマの政治家の超重要人物であるカエサルです。

何を姉弟で争っているんだ。二人とも一回話し合おうぜ!
カエサルはエジプトの先王プトレマイオス12世の遺言に従って両者が和解するように二人をアレクサンドリア(エジプトの都市です)に呼び集めます。
そしてその時、クレオパトラは動いたのです。
クレオパトラ、カエサルと愛人になる
クレオパトラは自ら寝具袋(絨毯とも言われています)にくるみ、カエサルのもとへと贈り物として届けさせて王宮に入ることに成功したと言われています。
絨毯を開けばびっくり、そこには美女が…!状態です。
古代エジプトでは贈り物や賄賂として宝物を絨毯にくるんで渡すという習慣があったようで、絨毯にくるまれた「クレオパトラ=賄賂」であり、

私を好きにしていいわよ
という意味だったのではないかと考えられています。
この時、クレオパトラはカエサルの愛人になったとされていて、これを知った弟のプトレマイオス13世は

ふざけんな、姉貴ー!!
と怒り心頭、王冠を地面に叩きつけたと言います。
カエサルの元で、一応クレオパトラとプトレマイオス13世の和解が成立したのですが、その和解期間はたったの15日間だけでした。
そして、プトレマイオス13世はカエサル軍を攻撃するようになります。
カエサルはローマ軍を使ってこれを制圧。
プトレマイオス13世はナイル川に身を投じて自殺することになります。
こうして姉弟の争いに終止符が打たれました。
プトレマイオス13世の死後、クレオパトラはさらに違う弟であるプトレマイオス14世と結婚し、共同統治をすることになりました。
しかし、今回の共同統治は後ろ盾にカエサルがいるので、ほとんどカエサルの政権といっても差し支えないものでした。
クレオパトラはカエサルの子カエサリオン(一部本当にカエサルの子なのかを疑う説もあります)を連れてカエサルの庇護の元ローマへと滞在。
しかし、カエサルが暗殺されると、彼女は再びエジプトへと戻ることになるのです。
クレオパトラ、アントニウスを魅了する
カエサルが暗殺され、クレオパトラがエジプトに帰国すると、プトレマイオス14世が死亡しました(クレオパトラが殺したという説もあります)。
なので、クレオパトラは彼女の子どもである幼いカエサリオンを共同統治者に指名しました。
姉弟の共同統治から母息子による共同統治へと変化するわけですね。
そして、ローマの方ではクレオパトラが支援していた勢力がマルクス・アントニウスの勢力に負けてしまい、彼女は出頭を命じられました。
ここで再びクレオパトラが動きます。
彼女は美しく着飾り、香を焚いてムードをつくりながら出頭します。

なんて美しいんだ…!
とアントニウスがなったのかは分かりませんが、少なくとも彼とクレオパトラが急接近します。
まぁ、ただの恋愛関係からの発展というよりは

アントニウスとしても、クレオパトラと仲良くしておくことは政治的にも有利であったのだろう
との考え方もあります。
しかし、アントニウスが大々的な凱旋式(がいせんしき)をエジプトでやったり、

自分が死んだ後はエジプトで埋葬してくれ
と遺言に書いたり(ただこの遺言を本当にアントニウスが書いたのかの真偽は定かではありません)する行動にローマ市民が不満を持つようになります。

アントニウス、最近ちょっとエジプトに関わりすぎじゃない?ローマ人なんだからもっとローマ人らしくしろよ
ローマ市民の不満はそのままアントニウスとライバル関係にあったアウグストゥスという政治家の支持につながります。
そして、最終的にアウグストゥスがアントニウスに宣戦布告を行いアクティウムの海戦へと繋がります。
結果はアウグストゥスが率いるローマ軍が勝利し、エジプトを制圧します。
アントニウスは途中クレオパトラが自殺したという誤報を受けて自殺。
クレオパトラもアウグストゥスに屈することを拒み自殺します。
彼女の遺言は

アントニウスと共に葬られたい
の文字があり、アウグストゥスによってそれは叶えられました。
こうして世界的に有名な美女はその生涯を閉じたのです。
クレオパトラは本当に美しかったのか?
クレオパトラと言えば美女というイメージが世界中に広がっていますが、本当に彼女は美しかったのでしょうか?
実はそうでもなかったという説も出ています。
歴史家のプルタルコスは彼女の容姿について

彼女の美貌そのものはけっして比類なきものではなく、見る人をはっとさせるものでもないと言われていた
と評しています。
クレオパトラに惚れこんでいたカエサルも彼女の知的な部分と声の良さは褒めていますが、容姿については実は何も言っていないのです。
ただ、相当に賢かった人であることには間違いがないようで、クレオパトラは7つの言語に通じていたとも言われていて、話し方も優雅であったとされています。
彼女の美しさは外側のみではなく、内側から湧き出てくるものだったのではないかと思います。
少なくとも、歴史上の重要人物達が彼女の魅力にとりつかれたのは紛れもない事実なのです。
そんなクレオパトラの生涯について漫画でも読む事が出来ます!
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参考:『クレオパトラ7世』