アッシリアの歴史は言語の変化により4つに時代区分されます。
- 初期アッシリア時代
- 古アッシリア時代
- 中アッシリア時代
- 新アッシリア時代
古アッシリア時代は、古アッシリア語を使用していました。
この頃には多くの文書史料が残っていたので、アッシリアの政治史が具体的に分かる時代です。
中アッシリア時代は、中アッシリア語を使用していました。
この時代はアッシリアが大国として台頭した時代です。
この中アッシリア時代までに、バビロニア支配を勝ち取っていました。
この記事では、
初期アッシリア~中アッシリアまでの歴史
について詳しく解説しています!
初期アッシリア時代は謎が多い!
初期アッシリアの歴史は文献史料が殆どないためあまりよく分かっていません。
この頃、アッシリアの中心的役割を果たすいくつかの都市が社会の基礎を形成し始めます。
当時、力を持っていたアッカド帝国やウル第三王朝の時代にはその属国として覇権下に置かれていました。
ですが、アッシリアの都市アッシュルは神格化が進み、安定した地方として存在していました。
この時代は、
都市そのものが神
と考えられていた時代で、
都市アッシュルにアッシュール神がいるんだ!
と信じられていました。
古アッシリア時代は国家の基礎
古アッシリア時代からアッシリア史が具体的に動き出します。
この時代のアッシュルはまだ都市国家の一つに過ぎませんでした。
しかし、都市アッシュル市の神格化は完全に進み、国家制度の点で大きな意味を持って行きました。
この時代である有名な王様がいました。
世界の王だ!!
と彼は自称していたそうです。
しかし、その王の後の後継者たちはその巨大な王国を維持する事が出来ませんでした。
そこから世界の王と呼ばれる者は古アッシリア時代を通して現れることはなかったのです。
また、この王様以降は文献史料も見つからず、中アッシリア時代に入るまでの歴史は殆ど明らかになっていません。
商業拠点もヒッタイトの台頭によって破壊されたと考えられています。
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アッシリア王の役割とは?
この時代のアッシリア王はその称号として、
アッシュルの副王
と名乗りました。
アッシュルという国土自体が神格化されていたので、
- アッシュル(国土)=王(リーダー)
- 王(人間)=副王(副リーダー)
というような関係性だったのです。
そんな国王は人間と神との間を仲介する為に祭礼を行っていました。
これは都市の繁栄を保障する役割を担っていました。
他にも王は商人の統率者として、司法権を行使して商業上のトラブルを治めました。
中央集権と官僚制の導入
アッシリアの国家体制が優れていた点として「アールム」と呼ばれる市民会(今で言う国会)があったことです。
ここで、国家運営について議論や決定を下していたそうです。
ここでの決定は、母国から離れた植民地や商業拠点にも伝えられていたほどです。
このアールム(市民会)の議長を務める役職として「リンム」と呼ばれる公職(今で言う官僚)があります。
毎年、リンムはアッシュル市の有力者の中から選ばれていました。
このアールム(国会)では、リンム(官僚)の権威はかなり高かったようです。
例えば、このリンムと呼ばれる官僚たちによってアッシリア王の権力は制限されていましたが、
我もリンムをしようではないか
と王が公職を兼務するようになってから、アッシリア王は強大な権力を振るうようになりました。
つまり、官僚たちの権限は形骸化しちゃったんですね。
しかし、この制度自体はきちんとアッシリア滅亡まで維持されました。
アッシリア商人の役割
アッシリア商人はバビロニア産の
- ヒツジの毛織物
- 錫(すず)
を売買して利潤を得ていました。
特に青銅器の急激な普及によって、その製造に必要な錫の需要は高まっていました。
アッシリア商人が躍進した原因の一つだろう
とこのように考えられています。
また、商人の分業も進んでいました。
アッシリア商人達は各都市の情報収集者を通して為替相場(金、銀、錫などの交換レート)情報に気を配り、個人投資家から委託される形での資本運用さえ行っていたのです。
長期の資本運用契約に関する文書史料も残っているほどです。
外国人や別の商人たちとの間で、
はい、これ契約書ね。これで契約成立!
とアッシリアの商人達商業契約を結んで利益を確保するのが超絶上手かったのです。
なので、商業活動の拡大はアッシリアに多くの富を与えたと言っても過言ではないでしょう。
商業活動のために文字は急速に普及し、
- 王碑文
- 商業契約文書
- 備忘録
のような文献史料も飛躍的に増えました。
中アッシリア時代は帝国への道
この時代から、ただの小規模勢力に過ぎなかったアッシリアは有力国として台頭して来ます。
この時代の王たちはとても強かったんです。
オリエント世界のバビロニアやヒッタイトとも戦って勝利を収めています。
こういった戦いの功績は、オリエント世界に確固たる地位を築くきっかけともなりました。
しかし、世界を揺るがす大きな社会変動(気候変動など様々な諸説あり)が起こってから、政治混乱により勢力が衰退します。
一時勢力が回復しても、国内の混乱があったりして、この頃のアッシリアがどういう政治を行っていたのかよく分かっていません。
一方、神格化されていたアッシュルの地は、
- あちこちの諸国:(アッシュル神に対する)奉納
- 本国のさらに外側:属国
とこのような外部へとその領土を拡大しました。
アッシリア文化への影響
バビロニアへの政治介入と征服は、バビロニア文化をアッシリアにもたらすことになりました。
王号の中にはバビロニア風の称号も加えられた他、バビロニアからの戦利品として芸術品や書記がもたらされ、アッシリア文化に著しい影響を与えたのです。
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「中アッシリア法典」と呼ばれる法律文書が作成されたのもこの時代です。
この内容は女性に関する規定が多いことで知られています。
例えば、以下の事などが規定されています。
- 男性が女性に対する際に取るべきマナー
- ヴェールで頭を隠すなどの女性の衣服の制限
ヴェールの着用はその女性の属する階級によって着用の有無が違いました。
- 上流階級の女性:ヴェールの着用義務
- 女奴隷や娼婦:ヴェールの着用禁止
とそれぞれの身分によって決められていました。
女性が男性の保護下にあるかないかで判別されていたとも言えます。
婚姻の際には、新郎が新婦にヴェールをかぶせるという儀式が行われていたのも、その証拠の一つでしょう。
ここまでが、初期アッシリア~中アッシリア時代の歴史についてでした。
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参考:『アッシリア』