【ヒッタイトの歴史】王国滅亡の理由は『海の民』にあった?

【ヒッタイトの歴史】王国滅亡の理由は「海の民」にあった?

メソポタミア文明の中で登場する「ヒッタイト」という都市国家。

この王国は、鉄の製造が非常に優れていました。

他の周辺民族には、鉄の製造方法を国家機密として守り抜いたヒッタイト。

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そんな国家がなぜ滅んでしまったのでしょうか?

この記事では、

  • ヒッタイト王国についての基本的な情報
  • ヒッタイト初期から海の民による滅亡までの歴史

について詳しくまとめてみました!

ヒッタイト人とは?

ヒッタイト人たちは、いくつかのグループに分かれて都市を中心に生活をしていました。

しかし、強力なグループの支配者たちが、これらの都市をまとめあげます。

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ここで、ヒッタイト王国が建国されるのです!

初期のヒッタイト人は、古代民族であるハッティ人から多くのことを取り入れています。

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たとえば、文化や楔形文字などです。

特にハッティ語は宗教目的で使われ続け、ハッティ人とヒッタイト人の文化にはかなりの連続性があったようです。

鉄器文化のヒッタイト

他の民族が青銅器しか作れなかった時代に、製鉄技術により最初に鉄を使った「鉄器文化」を築いたとされるヒッタイト。

その高度な技術により、現在のイラクの一部であるメソポタミア地域を征服したとされています。

さらに、この製鉄技術による強力な武器で、古代エジプトなどと対立しました。

しかし、この製鉄技術については、

メソポタミア(バビロニア)の王様画像

国家機密なんで

というポリシーを持っていたので、周辺民族に伝わることはありませんでした。

しかし、ヒッタイトが海の民の襲撃により滅亡すると、

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ヒッタイトの製鉄の秘密が暴かれるぜ、ラッキー♪

と周辺民族に知れ渡ることになります。

同時に、社会変革が起こり、現在の中東やエジプトであるオリエントの主な勢力は滅亡します。

その後に盛んになった、あるいは生き残った国々は全て鉄器製造技術を備えていたようです。

海の民とは一体誰?

海の民とは主に、この時代の

  • ギリシア人移住者たち
  • ギリシア語を話す侵入者たち
  • 中央ヨーロッパやイタリア半島からきた人たち

がきっかけとなって形成されたグループであるとされています。

そのことは、

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海の民によって焼き尽くされたのでは?

と考えられている都市の遺跡から、多くのイタリア型の陶器や青銅の武器などが発見されていることにより分かります。

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海の民の侵略により、多くの豊かな都市が崩壊されたのは疑いようがありません…!

また、彼らは富や文化を維持しようともしませんでした。

他にも、海の民に関してはこんな説があります。

多くの歴史的な記録によると、古代ギリシア古代エジプトの国家が傭兵を活用していたされています。

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これら傭兵集団が海の民であり、海の民が土地の奴隷層と同盟を結んで社会・国家構造を崩壊しようとしたのでは?

という説もあります。

ヒッタイト滅亡までの歴史

ヒッタイト王国には、3つの時代区分があり、

ヒッタイ古王国→ヒッタイト中王国→ヒッタイト新王国

という流れで分かれています。

ヒッタイトの歴史は、数多くがヒッタイト王国やエジプト、中東から見つかった

  • 楔形文字の古文書
  • 外交・商業関係の文書

により分かりました。

ここからは、ヒッタイトの古王国から海の民によって滅ぼされるまでの歴史について詳しく解説して行きます。

ヒッタイト古王国

ヒッタイト古王国では、王国が誕生しては滅んで行きました。

つまり、強き王が支配し、弱き王は滅んで行ったのです。

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これが、ヒッタイト王国の500年の歴史を通じて何度も繰り返されました。

こういったヒッタイト古王国の政情不安の一因は、王権のあり方にあったようです。

ヒッタイト王は、古代エジプトのファラオ(王)のような

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生き神様…!!

と市民からは見られていませんでした。

むしろ、市民の中の第一位の者として見られていました。

しかし、こういった王に対する絶対性の無さが、情勢不安を招いてしまったのです。

ヒッタイト中王国

ヒッタイトには、ヒッタイト中王国という時期もあったのですが、王権の移り変わりが激しかったからか、殆ど記録がありません。

分かっていることは、かなり弱小な70年間の王国であったことくらいです。

ヒッタイト帝国時代

ヒッタイト新王国の時代は、「ヒッタイト帝国時代」とも呼ばれています。

今までの時代ではそんなに目立って来なかったヒッタイトの時代も、この時ばかりはスポットライトを大いに浴びます。

この時代の注目すべき点は、隣国との条約や同盟を行った国際政治・外交の先駆者としての実績です。

その実績により王権が強化され、帝国時代にはヒッタイト人の移住が進みました。

この時代に王権は世襲制となり、

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どうだ、我には神がかり的な雰囲気があるだろう?

という王に対して、民衆からは

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あぁ、わが太陽…!!

と呼ばれ始めます。なので、ヒッタイト王は聖職者として振る舞い、

  • 毎年ヒッタイトの各都市を見て回る
  • 祭祀を執り行う
  • 聖地の維持費を監督する

ということをしました。

また、古代エジプトとも同盟関係を結ぼうと政略結婚を計画しました。

しかし、ヒッタイト王の息子は目的地へ到着する前に暗殺され、この同盟が結ばれる事はありませんでした。

カデシュの戦いとは?

カデシュの戦いとは、古代エジプトとヒッタイトの戦いです。

軍事記録に残された史上初の公式な戦争です。

ヒッタイトの繁栄は、交易鉱山にかなり依存していました。

交易や鉱山の盛んな地域に対して、ヒッタイト人たちは

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我々は、何とかここを死守しなければ…!

と思っていました。

しかし、そこにエジプトが攻めて来たのです。

この戦いの結果は曖昧ですが、エジプトの援軍がちょうど良く到着した事により、ヒッタイトの完全勝利にはならなかったようです。

また、エジプト軍の損害も大きかったので、エジプト軍側も戦う余力もなく決着を付ける事が出来なかったのかもしれません。

海の民による滅亡?!

この頃から、アッシリアの台頭によりヒッタイトの力は衰えて行きます。

ヒッタイトの大切な交易路に対して、アッシリアはかつてのエジプトと同じくらい強大な脅威として現れました。

そんな新たな脅威となったアッシリアの歴史についてさらに詳しく知りたい方は、

こちらの記事をお読み下さい。

アッシリアによる国境への侵入に対して、ヒッタイトは古代エジプトと「カデシュの和約」を結びます。

ここで、ヒッタイトの王は

メソポタミア(バビロニア)の王様画像

どうぞ、私の娘をもらって下さい

とエジプトのファラオ(王)に

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ほぅ、お前がヒッタイト王の娘か

と自分の娘を嫁がせます。

これは、完全な形で残っている歴史上最古の条約の一つであると言われています。

世界最古の和平協定が書かれた粘土板は、平和を理念とする国際連合本部ビルに飾られています。

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2001年には、ユネスコ記憶遺産にも登録されていますよ!

そして、ヒッタイトの最後の王の時。

この時に、海の民との海戦を含めていくつかの勝利を収めましたが、それは小さすぎ遅すぎたのでした。

海の民の侵攻をきっかけに重要な交易路が切り離され、ヒッタイト本国は全ての方向から攻撃されました。

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この攻撃より、ヒッタイト王国は歴史から姿を消したのです。

一方、最近の研究では

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王国の末期に起こった3代におよぶ内紛が、深刻な食糧難などを招いた

ということが明らかになっています。

国を維持するだけの力自体が既に失われていたことも、ヒッタイト滅亡の要因の一つでしょう。

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もしヒッタイトが国として万全の状態であれば、海の民の攻撃をきっかけに滅ぶこともなかったかもしれませんね…!

メソポタミア文明には、他にもまだまだ数多くの歴史があります。

メソポタミア文明の歴史をさらに詳しく知りたい方は、

こちらの記事も併せてお読み下さいませ。


参考:『ヒッタイトの歴史』・『ヒッタイト』・『鉄器時代』・『海の民