メソポタミア文明ってどんな文明?8つの特徴について説明!

メソポタミア文明を簡単に解説!世界最古の文明の特徴まとめ

メソポタミアは、現在のイラクの一部にあたります。

古代メソポタミア文明って、実は巨大な一つの文明ではないんです。

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実は、メソポタミアに生まれた複数の文明を合わせた呼び名なんです!

そんな複数の文明を持つメソポタミア文明について、

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どんな文明なの?

と思う方もいるでしょう。

この記事では、

メソポタミア文明の簡単な歴史からについての特徴

を詳しくまとめてみました!

メソポタミア文明の謎の成立

紀元前3500年前後にメソポタミア文明がつくられました。

この時代、運河を整備して豊かな農業収穫がありました。

こういった農業文化は、エジプト文明などよりも早かったようです。

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豊かな大地・整備された灌漑施設・高度な農耕器具による収穫量は現代とあまり違いがないほどらしいです。

世界最古の文明と言われるからこそ、謎の多い時代でもあります。

例えば、文明の最初の頃に中心となったのは、シュメール人です。

この民族は、どこから来たのか正直よく分かっていません。

よく都市伝説で言われているのは、

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シュメール人たちは宇宙人によって作られた者たち

であるということ。

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こう言われるほど、シュメール人のルーツは未だ謎に包まれています!

そんな謎多きシュメールについてさらに詳しく知りたい方は、

こちらの記事をお読み下さい。

古代シュメール文明では、土地が農作物を育てるのに最適な場所だったので、多くの勢力の基盤となりました。

しかし、そんな豊かな暮らしの背後で人々は森林伐採をやり過ぎてしまいます。

現代と同様の環境問題がこの時代にも起きたんですね。

数多くの森林伐採により、砂漠化が起きたのです。

メソポタミア文明の歴史まとめ

そういった問題を抱えたメソポタミア文明では、数多くの民族が誕生しては滅びるという歴史をたどっていきます。

3000年もの間の文明なので、その間に様々な都市国家が誕生していてもおかしくはないですよね。

そんなメソポタミア文明の歴史についてさらに詳しく知りたい方は、

こちらの記事をお読み下さい。

メソポタミア文明の滅亡の理由

これほどまでに長く続いた古代メソポタミア文明は、紀元前4世紀アレクサンドロス3世東方遠征によって終わりを迎えます。

この東方遠征について詳しく知りたい方は、

こちらの記事も併せてお読み下さいませ。

アレクサンドロス3世の東方遠征後、メソポタミア文明は古代オリエント(中東)とギリシアの文化を融合した「ヘレニズム」の世界の一部となって行くのです。

メソポタミア文明の宗教について

メソポタミア文明には、エジプトピラミッドのような「ジッグラト」と呼ばれるものがあります。

これが一体どのような目的で作られたのかは、未だ謎に包まれています。

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おそらく、神の為の「神殿」のような役割を担っていたのではないか?

という可能性が高いとされています。

そんなジッグラトを中心に、巨大な都市国家が誕生して行きました。

メソポタミア神話と旧約聖書

旧約聖書との関連も深いのがメソポタミア文明の特徴の1つです。

ユダヤ教キリスト教イスラム教に共通して出て来る最初の預言者アブラハムはメソポタミアの都市ウル出身と言われています。

アブラハムについて詳しく知りたい方は、

こちらの記事も併せてお読み下さいませ。

その他にも、

というように、

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旧約聖書の物語はメソポタミアをメインとした逸話では?

という説もあるようです。

そんなメソポタミア神話について、さらに詳しく知りたい方は

こちらの記事も併せてお読み下さいませ。

メソポタミア文明の発明品

メソポタミア文明の暦は「太陰太陽暦」を使いました。

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太陰太陽暦って何?

と思った方は、

こちらの記事を参考にしてみて下さい。

また、太陰太陽暦の暦と共に「占星術」も発達しました。

占星術についてさらに詳しく知りたい方は、

こちらの記事をお読み下さい。

ちなみに、計算方法である「六十進法」もメソポタミア文明で生まれたもので、現在の時間の単位にも用使われています。

六十進法についてさらに詳しく知りたい方は、

こちらの記事も併せてお読み下さい。

メソポタミア文明の楔形文字

文字は楔形文字を使用しました。

こんな文字ですね。

メソポタミア文明の楔形文字

(出典:https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Cuneiform_script.jpg )

この言語が西アジア一帯で広まり、記録媒体では粘土板が使われました。

あの「目には目を、歯には歯を」の復讐法で有名なハンムラビ法典も、楔形文字で書かれたようですよ。

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ハンムラビ法典?何それ??

と思った方は、

こちらの記事も読んでおきましょう。

各都市に文書を扱う書記を養成するための学校が設立されましたが、識字能力はこの時代では特別なものでした。

一般市民や王侯貴族でさえも、文字の読み書きはほとんど出来ませんでした。

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まれに識字能力を持った王が出現した場合、その能力を高めに評価した記録が残っているようですよ。

メソポタミア文明の交易経済

メソポタミアでの資源は、基本的に不足していました。

なので、周辺地域との交易は資源確保のためとても重要だったんですね。

交易範囲はとても広く、エジプト文明インダス文明とも交易があったと考えられています。

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この頃から、中東地域で有名なバザール(市場)での販売が行われていました!

バビロニア古代ギリシアの市場制度は違ったために、アケメネス朝ペルシアの初代王キュロス2世

メソポタミア(バビロニア)の王様画像

ギリシア人の市場ややこし!

と理解せず非難していたそうな。

そんなキュロス2世について詳しく知りたい方は、

こちらの記事をお読み下さい。


参考:『メソポタミア