六十進法とは?メソポタミア文明の数学を分かりやすく解説!
六十進法とは、60を基準として数を表す方法です。ここでは、
六十進法の具体的な計算方法ではなく、歴史的なルーツ
をより詳しく説明して行きます。
一体、古代ではどのような数学が使われていたのでしょうか?
メソポタミア文明の数学
紀元前3,000~2,000年頃、シュメールやバビロニアで六十進法が用いられました。この六十進法が、バビロニア数学を発展させたとも言えます。
メソポタミアの歴史を簡単に説明すると、
シュメール人が都市国家を建設→アッカドの時代→アムル人によるバビロン第1王朝→ヒッタイトやアッシリアの時代→新バビロニア
となります。メソポタミア文明の歴史についてさらに詳しく知りたい方は、
メソポタミア文明を簡単に解説!世界最古の文明の特徴まとめ
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この時代の中で、数学が一番活発だったのが、バビロン第一王朝の時代でした。そんな最古の数学が登場したのは、シュメール時代です。この時代の粘土板に、様々なものを測定した記録があったのです。
なぜ60を採用したのか?
この時代で、60は何かと便利な数字でした。なぜなら、60には5つの便利な最小公倍数があるからです。
60の最小公倍数は(2, 3, 4, 5, 6, 10, 12, 15, 20, 30)です。1~5までの数全てで割り切れるので、約数が多いのが特徴です。この最小公倍数の中で、
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6は立方体の面の数に由来
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10は両手の指の数に由来
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12は太陰暦の1年(12ヵ月)に由来
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20は両手両足の指の合計に由来
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30は1ヵ月(30日)に由来
これら5つの最小公倍数を含んだ60が、古代の人々にとっては超便利な数字だったようです。
六十進法の0の概念とは?
古代では、楔形文字を使っていました。この文字は、V字形をした文字でした。
楔形文字には、ちゃんと1~59の数字もありました。
- 横の楔 (<) = 10
- 小さな縦の楔 (V) =1
とそれぞれとの記号は数字を表します。初めは0を空白で表していましたが、紀元前2世紀頃から空白を表す記号を使うようになります。ただ、0を表す数字ではありませんでした。
バビロニア数学で少数?!
紀元前2,000年頃になってようやく、「一」と「十」を表す記号によってしっかりと六十進法が用いられるようになって行きました。
この計算方法による収穫は大きかったのです。星の運行計算などを行う天文学の分野の発展はもちろん、分数の簡単な表現も出来るようになりました。

バビロニア数学では、なんと少数も使っていました!
ヨーロッパでは、1未満の数を表すのに分数を使っていたエジプト数学を導入しました。しかし、分数だと計算が面倒でした。特に、天文学で星の運行の計算をする時などです。
そこで、バビロニアの六十進法が導入されたのです。角度の度数や1時間未満の単位を六十進法で表すのは、これが由来しています。
バビロニア数学の内容
バビロニアの人達は計算を簡単にするために、逆数や平方(ある数を2乗すること)、掛け算などを計算表として残していました。
こういった表を使っていた点に関しては、エジプト数学とも共通しています。また、

計算に計算器具を用いた
という記録もあります。
代数も使用していました。ただし、言語も上手く使用して、です。言語付き代数の場合であれば、1次方程式、2次方程式、連立方程式までは解いていたようです。
バビロン第1王朝時代の粘土板には、なんと現在で言うピタゴラスの定理を研究していたという記録が残っています。ピタゴラスの定理とは、直角三角形の3辺の長さの関係を表す定理です。

ピタゴラスの定理と言えば、サインコサインタンジェント(sin・cos・tan)ですよね!
他にも、古代エジプトのギリシャ系数学者かつ天文学者のエウクレイデスが触れた相似三角形についても理解していたようです。

もしかしたら、エウクレイデスのおじさんはバビロニア数学を基にして、ギリシア数学を発展させたのかも?
その後、バビロニアはギリシアの影響を受けてヘレニズム文化(古代ギリシアと現代の中東である古代オリエントの文明の混ぜ合わせ)が生まれます。
そして、後の世のメソポタミアではイスラム帝国によるアラビア数字が活発になります。
そんな中でも、六十進法は天文学で使われるような時間や角度の単位に影響を与え続けたのです。