プラタイアの戦いとは?スパルタ勝利までの4つの歴史を解説
プラタイアの戦いは、アケメネス朝ペルシアの王クセルクセス1世の遠征の後に起こりました。
サラミスの海戦で敗北した
- ペルシア軍の残りの勢力
- ペルシア側に付いたギリシアのポリス(都市国家)
たちに対して、ギリシア連合軍が撃退しました。
この戦いで、ギリシア連合軍の1つであったスパルタ軍だけで、ほとんどのペルシア兵を討ち取りました。
この記事では、
プラタイアの戦いにおいて、圧倒的な兵力のあるペルシア軍に、どうやってスパルタ・アテナイ軍は勝利したのか?
について詳しくまとめてみました!
プラタイアの戦いの背景
サラミスの海戦でペルシア軍は大損害を受けました。
しかし、まだ戦争を続けられる戦力は残っていました。

サラミスの海戦?
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そんなペルシア軍でしたが、王であるクセルクセス1世は、

こんなに負けると思わなかったよ…。ってことで、まっさん後はよろしくね☆
とダレイオス1世の娘婿であった将軍マルドニオスに、ペルシア陸軍の全指揮権を委ねて、クセルクセス1世は国に帰ってしまうのです。
そして、マルドニオスはその翌年にギリシア征服を始めます。
特に、アテナイ周辺を攻めて来たので、アテナイは

た、助けてくれ…!!ペルシア軍が攻めて来た。こうなったら、ギリシアで力を合わせてペルシアと戦おう!
とギリシア各地に呼びかけたのです。
パウサニアス将軍の決意
もちろん、スパルタもこのアテナイからの要請は受けていました。
しかし、当時のスパルタの将軍であったパウサニアスはアテナイに援軍を送るか非常に悩んでいました。
と言うのも、スパルタ国内にいた多くの奴隷たちが、ペルシア戦争をきっかけに不穏な空気を見せていたからです。

もしかしたら、スパルタ軍を遠征なんかに行かせたら、奴隷たちの反乱が起こるかもしれない…
とパウサニアスは恐れたのです。
そこで、パウサニアスは自分で決定することを避け、最終的に神々にその判断を委ねました。
神のお告げは、こうでした。
レオニダスの仇を討て

レオニダスって?誰やねん
と思った方は、こちらの記事を先にお読み下さい。
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簡単に言うと、スパルタ軍がペルシア軍に負けてしまいます。
ですが、最後まで英雄として戦ったのが、このスパルタの王レオニダスだったのです。
これを聞いたパウサニアスは、ついに

よし、アテナイへ援軍を送るか!
と決意をします。
ペルシア将軍マルドニオスは、マケドニア王国のアレクサンドロス1世を通じて、

僕たちもこんな事したくないのですよ。どうです、戦いを止めませんか?
と避難しているアテナイ人に和平交渉を申し入れましたが、

いやいや!!無理っしょ
と拒否されてしまいます。
プラタイアの戦いの前哨戦
ギリシア連合軍の戦力が11万人に対して、ペルシア軍の戦力は35万人。
これだけの兵力差が、両軍にはありました。
マルドニオスは、

よし、騎兵部隊を送ろう。そしたら、あいつらを平原までおびき出せるだろうよ。そうなったら、この戦いはこっちのものだ
とマルドニオスの命令を受けた司令官を率いて騎兵部隊は、ギリシア軍に突撃して損害を与えます。
これに対して、アテナイのエリート部隊がまずこの司令官を討ち取ります。

ヤバイ、我らの司令官がやられたぞ!何としてでも、死体を回収しろ
とギリシア軍に何度も突撃したのですが、ギリシアの増援によってこれを果たすことが出来ませんでした。
そして、マルドニオスの陣に撤退したのです。
これにより、ギリシア軍は

見たか!我らの力にやつらは怖気づいてしまったぞ!!いざ、プラタイアの地で決戦だ
とプラタイアの地に向かうのです。
スパルタ軍だけで勝利?!
10日間の交戦の後の11日目に、マルドニオスが

ギリシアの給水地である泉を攻めよ。水がなければ、あいつらも退かざるを得ないだろう
と騎兵部隊に突撃を命じます。
給水地を脅かされたギリシア軍は、夜中の内に退かざるを得ませんでした。
しかし、スパルタ軍だけは違いました。

夜の内に撤退するのは、逃亡するのと同じ。不名誉である!!
と撤退を拒否します。
このようなスパルタ軍の戦闘姿勢は、今でもよく使われる「スパルタ教育」から生み出されました。
そんなスパルタ教育についてさらに詳しく知りたい方は、
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スパルタ大丈夫か…。ちょっと心配
とアテナイ軍とメガラ軍はまだプラタイアに陣を構えていました。
こうして、戦場には
- スパルタ
- テゲア
- アテナイ
- メガラ
だけとなってしまいました。
スパルタが後退し始めたのは日が昇ってからでした。
それを見たマルドニオスは

フハハ!!ようやく敵も我らに恐れをなしたか
と錯覚し、全軍に追撃命令を下しました。
ここから、プラタイアの戦いが始まるのです。
パウサニアスの一度目の占い
ペルシア軍が一斉にスパルタ軍に襲い掛かりました。
しかし、マルドニオスの追撃命令は急で、ペルシア軍の戦列は乱れ攻撃もまとまっていませんでした。
ペルシア全軍が、スパルタ軍に集中的に攻撃していることを確認したスパルタの将軍パウサニアスは、

アテナイ、助けてくれ…!!
と応援の要請を出し、自身はこの戦いの行く末を占いに行きました。

やばい、凶が出た…
とその占いに従い、スパルタ軍にペルシア軍への応戦を禁じます。
この時、スパルタ軍はペルシア軍の攻撃を防ぐので精一杯でしたが、ペルシア軍の乱れた戦列のおかげで死傷者は数名程度に収まりました。
一方、アテナイは

OK、スパルタ!助けに行くよ!
としましたが、裏切った雇い兵たちであるギリシア軍がアテナイ軍へと突撃して来ました。
この突撃により、アテナイ軍はギリシア傭兵軍(雇い兵)たちと交戦せざるを得なくなり、

え、ちょ、マジかぁ…。ごめんよ、スパルタ。助けに行けないわ!
とスパルタ軍への応援は不可能となったのです。
パウサニアスの二度目の占い
パウサニアスは二度目の占いで、

やった、ついに吉が出たぞ…!!
とその結果が出た瞬間に、スパルタ全軍に攻撃命令を下しました。
それを聞いたスパルタ軍は瞬時に隊列を整えて、

おおぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!
と雄叫びを上げました。
今まで無抵抗だったスパルタ軍がいきなり目覚めたので、ペルシア軍は

え、ちょ、えぇぇぇ?!
と混乱し、逃げ腰になります。
ここからスパルタ軍の猛攻撃が始まります。
装備と訓練の差で劣るペルシア軍はまるで歯が立ちませんでした。
ペルシア将軍マルドニオスの死
数で勝るペルシア軍は、スパルタ軍を潰そうと休みなく押し寄せました。
スパルタの長い槍を掴んではへし折り、

何とか俺たちの流れに持って行かねば…!
と勢いを奪おうとしたのです。
しかし、スパルタ軍はたとえ槍が折れても、

俺達には短剣があるんじゃ———!!
と短剣を引き抜いてペルシア軍に立ち向かいました。
戦いは激しさを増し長きに渡りましたが、なんとスパルタ軍がペルシア軍を押し返してしまったのです。
そんな戦乱の中、マルドニオスはスパルタ軍の投げつけた小石によって命を落としてしまいます。

え、マルドニオス様が死んだだと?!じゃあ、俺たちはどうすれば…
と指揮官を失ったペルシア軍はますます劣勢となり、遂には戦いに負けて逃げ出してしまいます。
スパルタ軍とアテナイ軍の協力
逃げ去ったペルシア軍は野外の宿泊地に逃げ込み、そこにあった城に立てこもりました。
この宿泊地には城壁があり、こういった囲いの戦いを得意としないスパルタ軍は

ぐっ、こういうの苦手…
と苦戦しました。
そこに、ようやくアテナイ軍が合流します。
そして、アテナイ軍は不屈の精神で城壁を乗り越えて突入したのです。
これをきっかけに、スパルタ軍もどっと入り、ペルシア軍の宿泊地も攻略することに成功しました。
プラタイアの戦いでは、スパルタ・アテナイ軍の圧勝でした。
それぞれの戦死者をまとめると、
- ペルシア軍20万人以上
- スパルタ軍91人
- アテナイ軍52人
という圧倒的な差のある戦死者でした。

ギリシア側の戦死者が、1,000名ほどという説もあります。
スパルタ軍は、こうしてレオニダスの復讐を果たすことが出来たのでした。
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参考:プラタイアの戦い