サラミスの海戦とは?勝因を決めた戦い方を分かり易く解説!

サラミスの海戦とは?勝因を決めた戦い方を分かり易く解説!

サラミスの海戦は、ペルシア戦争の中のギリシア艦隊とペルシア艦隊の間で行われた海戦のことを言います。ヘロドトスの『歴史』に、この海戦のことは詳しく書かれています。

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一体、どっちが勝ったの?

結果は、ギリシア艦隊の勝利です。それでは、どのようにしてギリシア艦隊はペルシア艦隊に勝つことが出来たのでしょうか?

サラミスの海戦の背景

サラミスの海戦の前に、ペルシア軍に防衛の地として重要であったテルモピュライなどが突破されてしまいます。サラミスの海戦にも繋がるテルモピュライの戦いについて詳しく知りたい方は、

こちらの記事を先にお読み下さいませ。

ギリシア軍はギリシアの一都市であるアテナイの要請により、サラミスという島に艦船を終結させました。

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さて、こんな状況でペルシア軍との戦いの主戦場をどこに置くか…

とギリシア連合軍は話し合いました。次々とペルシア軍により、陥落していくギリシアの都市の知らせを聞いたギリシア全軍は震え上がります。そして、

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ひとまずサラミスとは違う土地を決戦の場としよう

と決めたのです。

テミストクレスの内通

しかし、アテナイのテミストクレスはその決定に反対します。

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サラミスでの艦隊の集結を無きものにすれば、各都市の艦隊は帰ってしまい、二度とギリシアが連合することはないでしょう

とサラミスの海戦を強く主張したのです。この主張により、サラミスでの海戦は決定したのですが、これに反対する者たちもおり、会議は揉めました。

その一方、サラミスの海戦を主張したテミストクレスは、

テミストクレス画像

ギリシア艦隊は、どうやらサラミスで海戦を行う方向でまとまりそうです

と密かにアケメネス朝ペルシアの王であったクセルクセス1世の下に使者を送って、会議の内容を伝えていました。テミストクレスはクセルクセス1世と内通することにより、戦争に負けたとしても

テミストクレス画像

自分の命が助かる道は用意しとかないとな

と自分の活路を確保し、さらにペルシア艦隊をサラミスで決戦を行うよう仕向けたのです。

サラミスの海戦の始まり

さて、そんなテミストクレスの言葉を信じたペルシア軍は、夜中にギリシア艦隊を完全包囲します。この動きに全く気付かなかったギリシア軍は、

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ペルシア軍によって完全包囲されてます…!!

という幾度かの知らせを聞き、急いで戦闘の準備に取り掛かりました。

ギリシア艦隊の軍船である三段櫂船(さんだんかいせん)は合計380隻

ペルシア艦隊の三段櫂船は合計684隻

ほぼ2倍も戦闘力が違います。

山田花子画像

それでは、どのようにしてギリシア軍は勝利することが出来たのでしょうか?

どうやってサラミスの海戦が始まったのかはよく分かっていません。ですが、テミストクレスは一定の時刻になると吹く風を利用しようと、ペルシア艦隊とは逆方向に進み時間稼ぎとしていたとされています。

そして、テミストクレスが待ち望んでいた風は、ペルシア艦隊の前に大きな高波を生み出しました。

ギリシア艦隊は高波に耐えうるような船の造りをしていた一方、ペルシア艦隊はその影響をもろ受けるような造りになっていたとされています。

この高波の影響により、ペルシア艦隊は思うような動きが取れませんでした。さらに、戦闘の海域も大きな艦隊を持つペルシアには狭すぎ、戦闘の列が乱れたところにギリシア艦隊の攻撃を受けたのです。

クセルクセス1世画像

これは、もうダメだぁ…

とクセルクセス1世は悟ったのでしょう。朝早くから始まったこの海戦は、日没とともにペルシア艦隊が逃げ帰ったことで終わりました。

サラミスの海戦の影響

ギリシア艦隊はこの戦闘が終わったとは思えませんでした。しかし、クセルクセス1世は

クセルクセス1世画像

いや、もう完全に戦意喪失だわ…。私抜きでも、戦闘の意思は見せといてね

と自身は撤退しました。

一方、ギリシア艦隊はペルシア艦隊を追っかけ攻撃していましたが、途中で軍事会議を行いました。そして、今後のことについて話し合ったのです。テミストクレスは、

テミストクレス画像

ペルシア王を追うべきだ!

と主張しました。しかし、スパルタの将軍に

スパルタの将軍画像

いや、そんな事したら逆にペルシア側が死に物狂いで反撃に出るかもしれんだろ!

とテミストクレスに忠告しました。

そして、テミストクレスは

テミストクレス画像

ペルシア艦隊への追撃は、ちょっと止めておこうか

とアテナイ艦隊に呼びかけ、クセルクセス1世に対しては密かに、

テミストクレス画像

いやー、自分が何とかペルシア艦隊への追撃を止めさせましたよ

と告げたのです。

サラミスの海戦でのギリシア海軍の勝利により、ペルシア戦争は行き詰まります。ただし、ペルシア軍が後へ退いたとは言え、その強大なペルシアの力は健在でした。

一方、アテナイにとってはこの海戦による勝利はとても大きなものでした。この勝利により、海上国家に成長する重要な出来事となったのです。

テミストクレスのその後

そんなアテナイ出身のテミストクレスは、ペルシア側に付いた他のポリス(都市国家)から金品を巻き上げたり、ギリシアの中でアテナイが有利になるような政策を色々と行いました。そういった独りよがりな功績が、アテナイ市民たちにとっては、

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いやーー、ちょっと独裁者みたいだよね

と僭主(せんしゅ)っぽく見えたんですね。

この古代ギリシア全体で見ると、僭主は独裁者とは見なされていませんでしたが、アテナイでは民主政治がしっかりとしていたので、こういったリーダーみたいな人物は独裁者と見なされやすかったのです。

そして、テミストクレスはアテナイ市民たちによって、陶片追放(とうへんついほう)という国外追放にされてしまいます。

この僭主と陶片追放について詳しく書いた記事があるので、良ければ以下の記事も参考にしてみて下さい。

テミストクレスは、さらに国家反逆罪で告発されることとなり、

テミストクレス画像

くそっ、何で俺がこんなことに…!!とりあえず敵国ではあるがペルシアに逃げるか

アケメネス朝ペルシアに逃亡します。

テミストクレスの追放の後、

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ペルシアがまた来るかもしれない…

という不安から、その準備としてポリスの連合体であるデロス同盟が成立したのです。デロス同盟についてさらに詳しく知りたい方は、

こちらの記事も併せてお読み下さいませ。

また、サラミスの海戦も含めたペルシア戦争についてざっとまとめた記事もあるので、ペルシア戦争についてきちんと勉強したい方は、

こちらの記事も併せてお読み下さいませ。


参考:サラミスの海戦