イスラエル王国とは?誕生・南北分裂・滅亡までの8つの歴史

イスラエル王国の画像

イスラエル王国とは、紀元前11世紀から紀元前8世紀まで古代イスラエルに存在したユダヤ人国家のことです。

はじめはイスラエル・ユダ連合王国(あるいはヘブライ王国)と呼ばれる統一王国でした。

しかし、その後に南北に分裂して

南:ユダ王国(南王国)

北:北イスラエル王国(北王国)

と呼ばれるようになります。

イスラエル王国と言う時、統一王国と分裂後の北王国の両方を指します。

なので、区別のために

  • 連合王国
  • 北王国

と呼び分けることが多くあります。

また、旧約聖書とも深い関りのあるイスラエル王国の歴史。

ユダヤ教を知る上でこの時代の知識は欠かせません。

かの有名なダビデ王ソロモン王なんかも登場しますよ!

そんなイスラエル王国の誕生から南北分裂、滅亡までの歴史を分かり易くまとめてみました。

イスラエル王国の起源

イスラエル」という国名は、ユダヤ民族の伝説的な創始者ヤコブが神に与えられた名前が由来とされています。

そんなヤコブについてさらに詳しく知りたい方は、

こちらの記事をお読み下さい。

初代王サウルの時代

長く王政を取らなかったイスラエルの最初の王はサウルで、イスラエル12部族の中から選ばれました。

しかし、サウルはイスラエル王国の建設途上で挫折してしまいました。

そんなサウルについてさらに詳しく知りたい方は、

こちらの記事をお読み下さい。

ダビデ王による時代

サウルの後を継いだのがダビデです。

彼はペリシテ人を撃破するなど軍事遠征を成功させます。

この軍事遠征で羊飼いのダビデはペリシテ陣営のゴリアテという巨人兵士を倒してしまうのです。

そんな驚愕のエピソードについてさらに詳しく知りたい方は、

こちらの記事をお読み下さい。

その後、ダビデは近隣諸国と友好的な同盟を結び、イスラエルを強くしていきました。

その結果、ダビデの権力は大きく広がり、エルサレムを王都にしてイスラエル王国の基礎を築いたのです。

ちなみに、聖書の言い伝えでは、ダビデには多彩な才能が備わっていたようです。

彼の詩や音楽の才能などは、「ダビデの作」と言われる『詩篇(しへん)』の中に見られます。

詩篇についてまとめている記事があるので、

気になる方はこちらの記事もご覧ください。

ダビデ王についてはさらに詳しく知りたい方は、

こちらの記事もお読み下さい。

ソロモン王による時代

ダビデの息子ソロモンは父の後を継いで、

ソロモン王画像

イスラエル王国をさらに強くしなければ…!

とひたすら努力しました。

近隣王国と条約を交わし、政略結婚を重ねて自国を強国に育てあげたのです。

特にエジプトに対しては、

ソロモン王画像

エジプトには感謝しかないっす…!

と終始礼を尽くし属国として振る舞いました。

さらに、ファラオの娘を妻として迎えることで良好な関係を築いたのです。

そして、ソロモンはまだまだ頑張ります。

彼の成果をまとめると以下になります。

  • 外国との交易による国の経済発展
  • 官僚制度による国内制度の整備
  • 大規模な土木工事による国内各地の都市の強化
  • フェニキアの技術導入でエルサレム神殿の建立

そんなソロモン王の生涯についてさらに詳しく知りたい方は、

こちらの記事をお読み下さい。

また、ソロモンには伝説的なエピソードもあります。

人間離れしたそのお話について詳しく知りたい方は、

こちらの記事をお読み下さい。

ソロモン王の晩年

これだけ頑張ったソロモン王ですが、

ソロモン王画像

ユダヤ教以外も信仰して良いよ

と晩年には容認したことにより、

人々画像

これは偶像崇拝だ!

とユダヤ教徒の厳格派から批判されます。

そのことによって、ユダヤ教徒と他の宗教信者との宗教的な対立を引き起こしました。

これが国家分裂の原因の1つともなっています。

そして、イスラエル王国分裂の最大の原因は、ソロモン王の息子レハブアムによる「ある出来事」がきっかけとなります。

ここからは、旧約聖書の中の歴史書『列王記』に描かれているイスラエル王国の歴史から分裂の原因を見ていきます。

イスラエル王国の分裂

ソロモン王の後の時代、ある男がエジプトに逃げようとしていました。

それがヤロブアムです。

しかし、彼はエジプト逃亡計画が失敗し、再びイスラエルへと戻って来たのです。

そして、ヤロブアムや各部族の代表たちはソロモンの後継者であったレハブアムに謁見して、

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どうか重税と不当な労働の軽減を

と願いましたが、

ソロモン王画像

嫌だ

とその願いは愛想なく強く断られました。

この態度を不満に思った諸部族がレハブアムに、

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何だと——!!

と反旗を翻しました。

この抵抗を受けたレハブアムは、

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エルサレムに逃げよう…

と逃亡したため、

人々画像

ヤロブアムさんが王様になるべきじゃないですか?

と諸部族連合にかつがれたヤロブアムは、イスラエルの新しい王ヤロブアム1世として王位につきましたとさ。

これが北イスラエル王国(イスラエル王国)誕生の背景です。

一方、レハブアムからは南王国 (ユダ王国) が始まるのです。

また、イスラエルには12部族が存在していて、南北に分裂した後にその12部族は、

  • 10部族(北イスラエル王国):ヤロブアムを支持
  • 2部族(南ユダ王国):レハブアムを支持

とそれぞれの王国を支持する形となりました。

南北分裂のその後は?

人口や耕地面積の点において、北イスラエル王国はユダ王国より勝っていました。

また、経済的にも優位に立っていたのですが、多くの部族を抱えていた北イスラエル王国は、

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ユダ王国に負けてたまるか!

という反ユダ王国感情によってまとまっているにすぎませんでした。

なので、とても不安定でクーデターが頻発し、王朝はたびたび交代しました。

また、分裂直後からアッシリアの脅威にもさらされ続けます。

そんなイスラエル王国の脅威となったアッシリアの歴史についてさらに詳しく知りたい方は、

こちらの記事をお読み下さい。

イスラエル王国滅亡

北イスラエル王国末期には、王が次々と家臣により殺害され、殺害した家臣が王位に就くという下剋上的な政治不安が続きます。

さらに、アッシリアの侵攻も激しを増すばかりで、最終的にこのアッシリアによって北イスラエル王国は滅ぼされてしまいます。

イスラエル10支族の民の内、指導者たちは連れ去られて中東全域に散り散りとなりました。

歴史の中に消えた彼らは「イスラエルの失われた10支族」とも呼ばれます。

そんなイスラエルの失われた10支族の歴史についてさらに詳しく知りたい方は、

こちらの記事をお読み下さい。


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参考:『イスラエル王国

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