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エーゲ・ミノア・ミケーネ文明の歴史的な違いを簡単に解説!

エーゲ・ミノア・ミケーネ文明の歴史的な違いを簡単に解説!

古代ギリシアの最古の文明。

世界史でも最初の方に出て来る文明なので、気合を入れて理解しようとする方も多いでしょう。

しかし、エーゲ文明ミノア(クレタ)文明ミケーネ文明について

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どう違うの?

と思った方もいるのではないでしょうか?

この3つの似た古代ギリシアの文明たち。

果たして、何がどう違うのでしょうか?

エーゲ文明とは?

エーゲ文明は、古代ギリシアの中での最古の文明です。

前期のエーゲ文明では、

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戦争もない比較的平和な時代だったのでは?

と考えられ、それは発掘された王の宮殿からも推測されます。

城壁もなく開放的な城であった一方、後期のエーゲ文明になると城塞がその特徴の1つとなっています。

地中海を通じて古代オリエント(現在の中東やエジプト地域)と近く、他の地域よりも文化が発達しました。

文化の発展を示す例として、

  • 線文字A・線文字Bという文字の使用
  • 青銅器文化の繁栄

などが挙げられます。

また、古代エジプト文明の影響を受けたともされています。

しかし、エーゲ文明は突然滅亡してしまい、その原因は未だに分かっていません。

  • 北方ギリシア系ドーリア人
  • 海の民の侵入

といった説が今のところ有力です。

エーゲ文明滅亡から古代ギリシア諸ポリス成立までの約400年間は、記述による記録は何ら残っていません。

なので、この不明な時期を「暗黒時代」と呼びます。

ミノア文明とは?

ミノア文明(あるいはクレタ文明)は、エーゲ文明のうちクレタ島で栄えた青銅器文明です。

伝説上のミノス王にちなんで「ミノス文明」とも呼ばれます。

そんなギリシャ神話上のミノス王の伝説について知りたい方は、

クレタ島の王『ミーノース』が造った迷宮に関する〇つの神話

こちらの記事をお読み下さい。

ミノア文明の歴史

地中海交易により発展し、島の各地で物資の貯蔵や再分配を行う宮殿が建てられました。

宮殿以外にも港湾(こうわん)都市が繁栄しました。

港湾とは、船が出入・停泊して、人が乗り降りしたり貨物を積みおろししたりする施設のある水域のことを言います。

また、貿易を通してエジプトフェニキアの芸術も入って来て、高度な工芸品を生み出したのです。

文明の発展のためか、木材の大量伐採による自然環境の破壊が文明の衰退を招きます。

そして、ミュケナイのアカイア人によってクレタ島に侵入され、略奪されミノア文明は崩壊するのです。

ミノア文明の建築

初期の宮殿建築では、宮殿に接して市民の公共空間がありました。

しかし、後期のミノア時代には各都市国家の中央集権化階層化が進み、次第に公共空間は廃れて他の建築物が建てられました。

クレタの宮殿の中庭は、外部から直接入ることが出来るほど開放されていて、

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当時のクレタが、とても平和的だったのでは?

と考えられています。

ミノア文明の由来

イギリスの考古学者アーサー・エヴァンズは、

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エジプトやメソポタミアの例を見る限り、シュリーマンが発見したトロイアとミュケナイの高度な文明は文字なしには成立し得ない…!

と考え、アテネの店先で見たクレタ島起源の護符のような印章に、象形文字のような記号を見つけクレタ島へと向かいました。

1900年にクレタ島がオスマン帝国からギリシャ領となっていたことや、協力者の手もあり発掘は順調に進みました。

そして、ついにクノッソス宮殿が発掘され、ギリシャ本土より200年以上前にギリシャを彩った文明の痕跡が発見されたのです。

エヴァンスはこれを

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ミノア文明としよう

と名付けたのです。

ミケーネ文明とは?

ミケーネ文明(またはミュケナイ文明)は、エーゲ文明のうちペロポネソス半島のミケーネを中心に栄えた青銅器文明です。

1900年にクレタ島のクノッソスを発掘していたイギリスの考古学者アーサー・エヴァンズは、

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これはミノア文明発祥のものに違いない!

とそこで発見した線文字Bをそう考えましたが、実際にはミケーネ文明で使われていたものと判明しました。

その後も、線文字Bの刻まれた粘土版がミケーネ地域で次々と発見されています。

ミケーネ文明の歴史

ミケーネ文明はミノア文明と同じく地中海交易によって発展し、ミノア文明との貿易を通して芸術などを取り入れました。

そして、ついにはクレタ島に侵攻し、征服したと考えられています。

この頃、ミケーネはトローアスのイリオスを滅ぼしたトロイア戦争を起こし、その後にこれをホメーロスが叙事詩『イーリアス』の題材としました。

しかし、イリオスで大規模な破壊があったことは認められれているものの、これが事実かどうかはよく分かっていません。

そして、突然勢力を上げて来た海の民によってミケーネ文明は崩壊します。

ミケーネ文明の特色

ミノア文明の開放的な建築に対して、ミケーネ文明の建築は模倣的で巨石を使い、頑丈な城壁で囲まれ閉鎖的なものでした。

この理由としては、

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外敵の脅威にさらされる可能性があったためではないか?

と考えられています。

その後のポリス(都市国家)社会とは違って、王が君臨し統治下の村々から

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農作物や家畜などを我に納めよ

貢納(こうのう)させ、それらを受け取る役人が存在していました。

貢納とは、みつぎものをおさめることを言います。

しかし、エジプトメソポタミアほど統治機構の整備は進みませんでした。

この3文明滅亡後のギリシアは、人口が激減し線文字も人々から忘れ去られていったようです。


参考:『エーゲ文明』・『ミノア文明』・『ミケーネ文明

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