イスラエル王国の南北分裂から滅亡までの歴史を簡単に解説!

イスラエル王国の南北分裂から滅亡までの歴史を簡単に解説!

旧約聖書とも深い関りのあるイスラエル王国の歴史。

はじめはイスラエル・ユダ連合王国(あるいはヘブライ王国)と呼ばれる統一王国でした。

イスラエル王国が統一されていた時代の歴史を詳しく知りたい方は、

まずはこちらの記事を先にお読み下さい。

しかし、その後に南北に分裂して

  • 南:ユダ王国(南王国)
  • 北:北イスラエル王国(北王国)

と呼ばれるようになります。

そんなイスラエル王国についてこの記事では、

イスラエル王国の南北分裂から滅亡までの歴史

について分かり易く解説してみました!

ソロモン王の晩年

ダビデの息子ソロモン王は、イスラエル王国の国内政治を頑張りました。

匿名画像

ソロモン王ってそんなに有名な人なの?

と思った方は、

こちらの記事を読みましょう。

これだけ頑張ったソロモン王ですが、晩年には

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ユダヤ教以外も信仰して良いよ

と容認したことにより、ユダヤ教徒の厳格派から

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これは偶像崇拝だ!

と批判されることで、ユダヤ教徒と他の宗教信者との宗教的な対立を引き起こしました。

山田花子画像

これが国家分裂の原因の1つともなっています…!

そして、イスラエル王国分裂の最大の原因は、ソロモン王の息子レハブアムによる「ある出来事」がきっかけとなります。

ここからは、旧約聖書の中の歴史書『列王記』に描かれているイスラエル王国の歴史から分裂の原因を見て行きましょう。

イスラエル王国の分裂

ソロモン王の後の時代、ある男がエジプトに逃げようとしていました。

それが、ヤロブアムです。

しかし、彼はエジプト逃亡計画が失敗し、再びイスラエルへと戻って来たのです。

そして、ヤロブアムや各部族の代表たちは、ソロモンの後継者であったレハブアムに謁見して、

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どうか重税と不当な労働の軽減を

と願いましたが、

メソポタミア(バビロニア)の王様画像

嫌だ

とその願いは愛想なく強く断られました。

この態度を不満に思った諸部族がレハブアムに

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何だと——!!

と反旗を翻しました。

この抵抗を受けたレハブアムは、

メソポタミア(バビロニア)の王様画像

エルサレムに逃げよう…

と逃亡したため、

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ヤロブアムさんが王様になるべきじゃないですか?

と諸部族連合にかつがれたヤロブアムは、イスラエルの新しい王ヤロブアム1世として王位につきましたとさ。

これが、北イスラエル王国(イスラエル王国)誕生の背景です。

一方、レハブアムからは南王国 (ユダ王国) が始まるのです。

また、イスラエルには12部族が存在していて、南北に分裂した後にその12部族は、

  • 10部族(北イスラエル王国):ヤロブアムを支持
  • 2部族(南ユダ王国):レハブアムを支持

となりました。

南北分裂のその後は?

人口や耕地面積の点において、北イスラエル王国はユダ王国より勝っていました。

また、経済的にも優位に立っていたのですが、多くの部族を抱えていた北イスラエル王国は、

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ユダ王国に負けてたまるか!

という反ユダ王国感情によってまとまっているにすぎませんでした。

なので、とても不安定でクーデターが頻発し、王朝はたびたび交代しました。

また、分裂直後からアッシリアの脅威にもさらされ続けます。

そんなイスラエル王国の脅威となったアッシリアの歴史についてさらに詳しく知りたい方は、

こちらの記事をお読み下さい。

イスラエル王国滅亡

北イスラエル王国末期には、王が次々と家臣により殺害され、殺害した家臣が王位に就くという下剋上的な政治不安が続きます。

さらに、アッシリアの侵攻も激しを増すばかりで、最終的にこのアッシリアによって北イスラエル王国は滅ぼされてしまいます。

イスラエル10支族の民の内、指導者たちは連れ去られて中東全域に散り散りとなりました。

歴史の中に消えた彼らは「イスラエルの失われた10支族」とも呼ばれます。

そんなイスラエルの失われた10支族の歴史についてさらに詳しく知りたい方は、

こちらの記事をお読み下さい。


参考:『イスラエル王国