暗黒時代に何があった?古代ギリシアで起きた出来事を説明!

暗黒時代に何があった?古代ギリシアで起きた出来事を説明!

古代ギリシャで栄えていた文明が、突如として途絶えた期間。

それが、古代ギリシャの「暗黒時代」と呼ばれます。

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え、その時何が起こったの?

と気になる方もいるでしょう。

そんな方には、

まずはこちらの記事を読んでもらいましょう。

この記事では、

古代ギリシャの暗黒時代にあった意外な出来事

について詳しくまとめてみました!

本当に「暗黒時代」だった?

地中海東部を取り巻いた大規模な社会変動「前1200年のカタストロフ」に襲われたギリシャは低調な時代へと突入しました。

古代ギリシャ人が暗黒時代により失ったものをまとめると、

  • 文字や彩色画の技術
  • 海外との交流
  • ギリシャを彩っていた宮殿
  • 華やかな土器

となります。

華やかな宮殿の代わりに粗末な家々が並ぶ集落しか存在せず、土器も黒色を基調とした粗末な柄のものとなりました。

しかし、暗黒時代という呼び名でもギリシャには鉄器がもたらされ、土器も柄こそ華やかではなかったですが、その用途別の種類は増加していました。

暗黒時代でも栄えた交流活動

紀元前11世紀末にはギリシャも復興して交流が活発化し、人口も増加したと考えられています。

例えば、ギリシャが東方と交流していたと見られるアルファベットを使用したギリシャ語文章が発見されたりもしています。

さらに、前8世紀になると

  • ギリシャ本土
  • エーゲ海
  • 小アジア西部沿岸

にギリシャ人が定住して、オリュンピアなどの聖域では中東との交流が行なわれていたと思われる出土品が発見されています。

聖域とは、侵してはならない神聖な場所・区域のことを言います。

ミケーネ文明崩壊後、キプロス島にはギリシャ人たちが移民していました。

ミケーネ文明とは、古代ギリシャが暗黒時代に入る前に栄えた文明です。

暗黒時代に栄えた古代ギリシャの文明について詳しく知りたい方は、

こちらの記事をお読み下さい。

そんなキプロス島の南部にはフェニキア人たちが入植しました。

多くの入植者がいたこともあり、キプロス島はギリシャの初期交易の拠点となっています。

この交易は拡大し、様々な地域でその跡が発見されています。

暗黒時代へのそもそもの疑い

このように、一時期は低調だった人間活動もだんだんと回復しています。

この暗黒時代は、文字資料が存在せずその時代背景が不明なためにそう呼ばれている側面があります。

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以前の宮殿を中心とする官僚主義のシステムが崩壊し、ばらばらになった農業集落に変わったのでは?

という意見もあり、そのため

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経済システムの崩壊により、使用されていた文字(線文字B)も不必要なものとして無くなったのだろう

と考えられています。

さらに、以前までは農耕中心の生活だったのが、牧畜中心の生活に変化しました。

そのために、定住地が減少してミケーネ時代の石造りの建物が朽ちやすい木造のものに変化したのです。

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だからこそ、大規模な集落跡が発見されないのかも…

という可能性もあります。

また、人口が一時的に減少したと言っても、アテナイのようなその後に要な地位を占める事になるポリス(都市国家)が、ミケーネ時代から継続して居住しています。

このように、暗黒時代にはミケーネ時代の宮殿中心の社会がポリスを中心とする社会へと移る準備期間であったとも言えます。

ヒッタイトの鉄器文化の輸入

前12世紀まで鉄の製造方法については、ヒッタイトのみが所有し知っていました。

そのため、ヒッタイトと一部の人々(ペリシテ人など)しか鉄器を持つことは出来なかったのですが、前1200年のカタストロフによってヒッタイトが崩壊します。

すると、ヒッタイトの持っていた鉄器文化が世界へ広がることとなったのです。

そんなヒッタイトの歴史についてさらに詳しく知りたい方は、

こちらの記事をお読み下さい。

ただし、この鉄器はすぐに世界中に広がった訳ではなく、ギリシャに鉄器と思われる「黒い金属」が登場したのは前13世紀末です。

ちなみに、前8世紀パトロクロスの弔い合戦の恩賞としてアキレスが得たものは鉄の玉でした。

そんな古代ギリシャの暗黒時代はどのようにして終わったのでしょうか?

その理由が気になる方は、

こちらの記事を続きとしてお読み下さいませ。


参考:『暗黒時代 (古代ギリシア)