『暗黒時代(古代ギリシャ)』の始まりの3つの原因を解説!

古代ギリシャにはいくつか文明がありました。
しかし、いきなり暗黒時代に入り人類は姿を消してしまったのです。
その時代、果たして一体何があったのでしょうか?
暗黒時代に何があった?
紀元前1200年頃、地中海東部を取り巻いた大規模な社会変動「前1200年のカタストロフ」が襲い掛かりました。
このカタストロフによりヒッタイトは崩壊しエジプト新王国は衰退へと向かうことになり、古代ギリシャもミケーネ文明が崩壊することになりました。
ミケーネ文明の他にも、暗黒時代以前の古代ギリシャにはエーゲやミノアという文明が栄えていました。
それら古代文明の特徴について詳しく知りたい方は、
エーゲ・ミノア・ミケーネ文明の歴史的な違いを簡単に解説!
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このカタストロフの到来により、ミケーネで巨石を使った巨大な宮殿は姿を消し、
- 金銀で作られた器
- 象牙(ぞうげ)細工
など豊かさの尺度となるものも同じように姿を消しました。
また、経済システムは崩壊し、線文字Bという文字や物資の貯蔵に使われていた大規模建築物も消滅しました。
その後、ミケーネでは粗末な集落のみが存在し、それまでに形成された陶器の技術も失われることになりました。
カタストロフが起きた謎
このカタストロフには様々な解釈がされていて、まとめると
- ドーリア人の侵入によるもの
- 地震による崩壊によるもの
- そもそも暗黒時代を疑問視
となります。
ミケーネ文明の崩壊の原因は未だ論争されていますが、現在の主流は

海から到来した略奪者のために崩壊したのでは?
とする説です。
また、宮殿は破壊された上に火を放たれていて、これらの破壊活動は北から南へと進んでいます。
しかし、この状況を予測していたと考えられる跡も残っていて、ミケーネ、ティリュンス、アテナイでは給水設備が設置されていました。

包囲攻撃が来るに違いない…!
と人々が予想していたとも考えられています。
ミケーネ文明は前「1200年のカタストロフ」で一瞬に崩壊した訳ではありません。
極めて緩やかに衰退していったので文化の要素は次世代へと受け継がれ、ミケーネ文化を担ったと思われる人々はエーゲ海に拡散して行きました。
ここからは、カタストロフの原因とされている説について解説して行きます。
ドーリア人の侵入
ドーリア人の侵入による説では、「海の民」による移動に伴いドーリア人がギリシャに至って、その周辺の地域に住んだことによりミケーネ文明が崩壊したとしています。
また、古代ギリシャの文献によれば
ヘラクレスの子孫であるドーリア人らが、正統な継承者を主張して南下した
としていてます。
ヘラクレスは、ディズニー映画にもなるほどのギリシャ神話の有名人です。
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また、この内容は同じようにヘロドトスの『歴史』やトゥキディデスの『歴史』にも記載されています。
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カタストロフの諸説
このような歴史文献の記述により、

ドーリア人の侵入により、鉄がギリシャに持ち込まれ器具や武器に革新がもたらされ、さらに土器の様式、葬制の変化(土葬から火葬へ、複葬から個葬へ)などが生まれた
とされていました。
しかし、この「海の民」についての研究が進み、人口の大移動が発生したことから

カタストロフは本当に発生したのか?
と疑問視され、

ドーリア人の侵入すら存在しなかったのではないか?
という説まで存在します。

海の民の襲撃やドーリア人の移動によりミケーネ文化が崩壊した
とする説は、だんだんと支持を失いつつあり、

環境の悪化、地震、気候変動による飢饉、社会動乱などによるものでは?
という説を支持する声もありますが、全面的な支持を得ている訳ではありません。
ただし、何らかの原因により宮殿を中心として維持されていた管理経済システムが崩壊し、ミケーネ文明が崩壊したことはほとんどの学者が認めています。
そこ至るまでの過程についての異論は多く、現在でも活発な議論が行われています。
暗黒時代を疑問視
暗黒時代の次は「古典期」になりますが、その時代に聖域とされる場所はミケーネ時代後期から末期にかけて使用されていたことが発見されています。
これらの発見などから、暗黒時代という期間を取り除けばミケーネ時代から鉄器時代への連続性を認めることが出来ます。
暗黒時代は人間活動が少なかった期間で、古代ギリシャが低調になったのは

土壌流出や気候変化に人口過剰が伴ったことによるものである
という解釈も成り立ちます。
暗黒時代を経たにも関わらず、文化が復興する時にはミケーネ的な文化が復活しているので、

ミケーネ時代と古典期の時期を近付けることにより合理的な説明ができる
とある学者は言っています。
この古代ギリシャの暗黒時代について、さらに詳しくまとめた記事もありますので、
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参考:『暗黒時代 (古代ギリシア)』