どんと祭とは?どんな祭りか歴史も含めて分かりやすく解説!

どんと祭の画像

宮城県を中心としたどんと祭は、長年親しまれてきた年中行事です。

毎年開催されるこのお祭りは、新年を祝うお祭りです。

そんな独特の伝統と文化的意義を持つどんと祭について分かりやすく紹介していますよ! 

どんと祭とは?

どんと祭(さい)とは、宮城県を中心に呼ばれる祭りの呼称です。

他地域で左義長やドント焼きなどと呼ばれる祭りに似ています。

そんなどんと祭と似ている左義長について詳しく知りたい方は、

こちらの記事をお読みください。

神社の境内などで正月飾りを焼き御神火(ごじんか)にあたることで、

  • 一年の無病息災
  • 家内安全

を祈願するお祭りとなっています。

特に宮城県内各地の神社で盛んに行われていて、仙台市の大崎八幡宮の「松焚祭(まつたきまつり)」が宮城県最大規模です。

どんと祭の歴史

いつ始まったのかは分かりませんが、1849年には恒例行事となっていました。

正月飾りを焼く行事は1880年頃までは大崎八幡宮特有の行事でした。

「どんと祭」という呼称は、

  1. 河北新報根拠無い記事を載せたこと
  2. 松焚祭の観光化が進んでいたこと
  3. 観光化の影響で地元が記事に便乗したこと

で定着したとされています。

仙台市以外の神社に広まったのは高度経済成長期以降のようです。

どんと祭はいつ?

どんと祭の開催日は地域によって異なるようです。

  • 宮城県の多くの地域:小正月の前日の1月14日夕方から
  • 岩手県の盛岡八幡宮1月15日
  • 宮城県石巻市:1月7日

石巻の場合は、新生活運動により1970年代に前倒しが定着したものとされています。

※新生活運動とは、日本社会党を中心とする片山哲内閣によって呼びかけられた文化上・精神上・生活上の改善・啓発運動です。

様々などんと祭

宮城県内各地の裸参りは大崎八幡宮の裸参りとほぼ同じ装束・方式で実施しています。

しかし、同県登米市迫町・津島神社の「佐沼どんと祭裸参り」では提灯(ちょうちん)ではなく松明(たいまつ)を持って参拝します。

同県角田市の「かくだどんと祭り裸参り」では鳥追い棒を持って

日本人男性画像

ヤー、ホイホイホイ

の掛け声とともに町中を練り歩きます。

盛岡八幡宮では紙のハサミを持って特徴的な振りをしながら行進するなど、

地域によって一部違いがあります。

また、岩手県奥州市江刺区では大通り公園で開催するなど、神社・寺以外での開催例もあります。

さらに、宮城県登米市では石越総合運動公園で「石越どんと祭冬の花火大会」が実施されていて、イベント性が高い行事となっています。

松焚祭とは?

大崎八幡宮で行われる年中行事で、300年の歴史があるとされています。

2005年に仙台市の無形民俗文化財に指定されました。

※重要無形民俗文化財は、衣食住、生業、信仰、年中行事などに関する風俗慣習、民俗芸能、民俗技術など、人々が日常生活の中で生み出し継承してきた無形の民俗文化財のうち、特に重要なものとして国が指定したものです。

市内各地から当社を目指して歩く裸参りが特に有名です。

例年約10万人の人出で賑わっていますが、以前は20万人程度の人出があったとされています。

  • 仙台都市圏の拡大や郊外居住者の増大により、人ごみを嫌った参拝客が他の最寄の神社のどんと祭に流れるようになったこと
  • 成人の日が1月15日ではなくなったことにより、その前夜のお祭りの意味もあったどんと祭に参拝しづらくなったこと

などが原因となり大崎八幡宮への参拝客は減ってきました。

裸参りとは?

仙台藩内に来て日本酒の醸造をしていた南部杜氏(なんぶとうじ)が、醸造(じょうぞう)安全・吟醸(ぎんじょう)祈願のために参拝したのが始まりとされています。

※南部杜氏とは、岩手県石鳥谷(いしどりや)町を拠点とする、日本酒を造る代表的な杜氏集団の一つです。

鉢巻(はちまき)・白さらしを巻き、白足袋わらじの装束に身を包みます。

氷水で水垢離をした後、神に息かけないためとして「含み紙」と呼ばれる紙を口にくわえたまま、右手にはを、左手に提灯を持って徒歩で参拝します。

そして、御神火(ごじんか)を渡り、火にあたるのです。

※御神火とは、火山の噴火・噴煙を神聖視して言います。

低温の中での裸参りは健康を害する可能性があるため、参加団体では裸参り前に健康診断を行う例も見られます。

女性は1枚羽織ることが許されていたり、暖かい国から来た外国人留学生の場合も服装の規定は緩くされています。

本来は松焚の後に行いますが、現代では裸参りで神社に向かい正月飾りを焼くことが多いみたいです。


参考:どんと祭

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