ソクラテスはなぜ死んだ?死に対するソクラテスの名言を解説

ソクラテスはなぜ死んだ?死に対するソクラテスの名言を解説

古代ギリシアの偉大な哲学者であるソクラテスは、

青年を腐敗させ、国家の信じる神々を信じず、新しき神霊を信じる

という罪によって訴えられ、そこで死刑判決を言い渡されてしまいます。

死刑宣告までの経緯

彼がなぜ訴えられてしまったかの経緯はこちらの記事をご覧ください。

この裁判でソクラテスが語ったことこそ、弟子であるプラトンが著した『ソクラテスの弁明』なのです。

こちらの記事では『ソクラテスの弁明』の中で、死刑判決を受けたソクラテスが最後に陪審員たちに自らの死生観について語るシーンを要約しながら、彼の死に対する考え方を学んでいけたらと思います。

死刑確定を受けて

ソクラテスが最後に陪審員に語った言葉。

ソクラテスの独白。

私を有罪・死刑投票した人は賢人ソクラテスを死刑にしたという不名誉を負わされるでしょう。

皆さんは私が有罪になった理由を言葉不足や有罪を免れるためにどんなことでもするという姿勢の欠如だと思うでしょう。

しかし、私はどんな危険を前にしていても卑しく振る舞うべきではないと信じていましたし、後悔はありません。

死を免れることは困難ではありません。

悪を免れることこそ困難なのです。

悪は死よりも速く駆けることが出来ます。

老年の私(ソクラテスはこの時70歳でした)は死に追いつかれ、若い皆さんは悪に追いつかれたのです。

私を有罪と判断した皆さんへ一つ予言をします。

皆さんには死刑よりも遥かに重い刑が課されます。

正しくない生活に対する批判の方法として、その生活者を服従・殺害することは決して立派ではありません。

最も立派な手段は自ら善くなるように心掛けることです。

私に無罪投票してくれた皆さんへ。

私に度々現れる警告の「声」は裁判中一度も現れなかったので、今回の出来事はきっと善いことだと思います。

死をわざわいだと考えるのは間違っています。

死は一種の幸福であるかもしれません。

なぜなら、死は無になること、もしくはあの世へ魂が向かうことであるからです。

もし、死が無になることであれば、感覚が何もかもなくなって、夢一つ見ない眠りに等しく、驚くべき利得です。

もし、死があの世へ魂が向かうことならば、数々の神や偉人たちと出会えるのですから、とてつもない幸福だということになります。

この裁判において有罪無罪に関わらず投票してくださった全ての皆さんへ。

善人に対しては生前にも死後にもいかなるわざわいは起こり得ないですし、そして神々も善人は忘れません。

このことを真理と認めて、楽しく希望をもって死と向き合うことが必要です。

なので、私は私を告発した人や、私を有罪にした人を少しも恨んでいません。

私の子どもが成人した時には、私が皆さんにしたように、子どもたちを叱って悩ませてほしいのです。

財産よりも徳を念頭に置くように、優れているわけでもないのにそのような顔をしないように。

さて、もう時間がやってきました。

私は死ぬために、皆さんは生きるために。

両者のうち、どちらが良い運命に出会うのか。

それは神より他に知るものなどいないのです。

ソクラテスの死生観

死刑判決を受けたソクラテスが言う「死よりも悪を免れる方が困難である」というのはとても名言だと思います。

彼は悪を免れるために、善人であろうとしました。

そしてそれが故に彼は死刑判決という死に追いつかれてしまったのです。

しかし、彼は全く動じていません。

なぜならば彼にとって死よりも重い罪は悪に身を染める事だからです。

善人か悪人であるかは神々はきちんと分かっていらっしゃるのです。

だからこそ、彼はどこまでも神に忠実であろうとしていたのです。

『ソクラテスの弁明』は裁判の弁明というものを通して、哲学者ソクラテスの価値観に触れる貴重な資料です。

『ソクラテスの弁明』についてのあらすじをまとめた記事がありますので、

よろしければそちらもご覧ください。


「ソクラテスの弁明」について文庫でより詳しく読みたい方は、

ソクラテスの弁明 クリトン (岩波文庫) Kindle版
自己の所信を力強く表明する法廷のソクラテスを描いた『ソクラテスの弁明』.死刑の宣告を受けた後,国法を守って平静に死を迎えようとするソクラテスと,脱獄を勧める老友クリトンとの獄中の対話『クリトン』.ともにプラトン初期の作であるが,芸術的にも完璧に近い筆致をもって師ソクラテスの偉大な姿を我々に伝えている.

こちらもぜひ読んでみて下さい。

ソクラテス関連の記事をここで読んでいれば、難解なこの文庫もきっと読み易くなるはず!


参考:『ソクラテスの弁明
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