鏡餅はいつから始まったの?歴史的な3つの由来を徹底解説!
お正月になると、よく鏡餅(かがみもち)を見ますよね。

そもそも、鏡餅って何のために飾るの?
という質問に、みなさんはきちんと答えられるでしょうか?正月になると身近にあり過ぎて意外と気付かない鏡餅の存在意義。
そんな鏡餅の歴史を、まとめてみました。それでは、詳しく見て行きましょう!
鏡餅はいつから食べた?
平安時代には、既に鏡餅は存在していたようです。なぜ分かるかと言うと、『源氏物語』に鏡餅について言及されているからです。
この時代から、今のような鏡餅の姿であったかは定かではありません。おそらく、家に床の間が作られるようになった室町時代以降から、私たちが知る鏡餅となったのでしょう。
武家では、床の間に甲冑(かっちゅう)を飾っていました。甲冑とは、鎧(よろい)や兜(かぶと)の武具セットです。その前に鏡餅を供えていました。
歴史的な鏡餅の由来とは?
鏡餅とは、もちを神仏に供える正月の飾りです。穀物の神である「年神(としがみ)」への供え物です。つまり、年神様の依り憑く依り代なのです。
昔の鏡の形に似ていたことから、「鏡餅」という名前になったそうです。昔の鏡というのは、青銅器から作られた丸形でした。その鏡を、神事などに使っていたのです。他にも、

三種の神器に似せたものではないか?
という意見もあります。まとめると、
- 八咫鏡(やたのかがみ)=鏡餅
- 八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)=橙(ダイダイ)
- 天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)=干し柿
だそうです。

八咫鏡は丸いので分かりますが、他の2つの勾玉と剣がそれぞれ橙と干し柿って…。
本当に三種の神器が起源かどうか、よく分からないですよね。ここからは、さらに鏡餅についての歴史的な由来を探って行きたいと思います。
江戸の「御鏡」とは何?
江戸時代の1712年頃に、日本の百科事典として出版された『和漢三才図会巻19』。そこに天武天皇からの習慣として、「しとき餅」の項に

御鏡これなり。
と解説された祭餅の図がありました。これは、ヒエやきび餅のことです。きび団子のようなものでした。
昔はこういった材料をよく使っていましたが、江戸時代には鏡のような円形に似せるため、もち米を使っていました。これが世間では、「御鏡」と呼ばれたそうです。
ちなみに、「しとき」という言葉は、アイヌ人にも伝わっていました。きびや栗の団子を「シト」と呼び、女性用のネックレスのペンダントヘッドのような丸い金属の板を「シトキ」と呼んでいたそうです。
江戸前期の鏡餅は黒?
明治末から大正初めに百科事典として『古事類苑』が刊行されました。その中に、江戸前期の京都周辺に住んでいた民間の風習をまとめた解説書があり、そこに鏡餅についての解説があるのです。
話をざっとまとめると、こんな感じです。旧暦12月末のある夜、昔からの言い習わしとして丸型やひょうたん型の餅をつき、それを神仏に供えたり、母方の親族に贈ることを「鏡を据(す)える」と言いました。
大きい円が鏡に似ていたので、鏡と言ったそうです。その鏡餅の上に、小さい円を乗せることは、その形が天に似ていたので、星空に似た小さい方は「星点」と呼びました。その星点を乗せた鏡餅の色は黒かったそうです。
1943年の毎日新聞の記事に、

江戸時代の初期、国民は一般的に雑炊あるいは黒米を日常の食事とした
と記されています。また、江戸時代初期に活躍した松尾芭蕉の俳句にも、

花にうき世我が酒白く飯黒し
とあります。
明治時代の鏡餅は白?
「血まみれ芳年(よしとし)」と呼ばれた浮世絵師がいました。彼の本名は、月岡芳年。そんな異名が付けられた理由は、彼がよく血まみれの無惨な浮世絵を描いていたからです。
そんな彼が明治期に描いた浮世絵の中に、乾燥したようにひびが入った白い鏡餅が描いてありました。その鏡餅を、血のりの付いた斧で金太郎は割ろうとしています。その金太郎の隣では、平安時代の装束の女性がはちまきをして扇子を持ち、金太郎に話しかけています。
とてもシュールな絵ですが、この絵から明治に入ってから餅は黒でなく白になった事がうかがえます。
縁起の良い日・悪い日
鏡餅をいつ飾るのか?
早く飾っても、問題はありません。ですが、一応12月28日が最適日とされているようです。なぜなら、「八」は日本で縁起の良い数字とされているからです。
一方、縁起の悪い日にちもあります。
- 12月29日の「九」は、苦しむに繋がるので避けるべし(逆に29を「福」として餅をつく地域あり)
- 12月30日は、キリの良い数字なので悪くない(ただし、旧暦で考えると「一夜餅」として忌避される場合あり)
- 12月31日は、葬儀の飾り方を連想し誠意に欠けるなどの理由により、「一夜飾り」「一夜餅」として忌避される(ただし、浄土真宗は適用外)
以上の日にちは、避けた方が良いでしょう。ただし、カッコでも書きましたが、地域や暦、宗教の違いにより縁起の良い日と考えられる場合もあります。
鏡餅の後処理と鏡開き
鏡餅は神様への供え物なので、松の内までは下げたり食べたりせずに飾っておきます。松の内とは、正月の松飾りのある間のことを指します。その期間は、元旦から7日、あるいは15日までです。
松の内が終わると、鏡餅を飾ったままにせず下げます。下げた餅は「鏡開き」を行います。鏡開きとは、正月に年神や仏に供えた鏡餅を下げて食べる年中行事です。
「鏡」は円満を、「開き」は末広がりを意味します。つまり、円満が末永く続くことを祈るのです。
この鏡開きを行う時に、刃物を使うのはタブーです。なぜなら、切腹を連想させるからです。刃物の代わりに手や木づちを使って、餅を食べやすい大きさに分けます。
正月を過ぎた餅は、硬く乾燥してひび割れています。なので、一般的に汁粉や雑煮、焼餅にして食べます。

鏡餅の歴史は意外と長いことが分かりましたね!
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参考:鏡餅