外国人労働の裏側へ──「平等」の仮面と格差のリアル

外国人労働 現状をめぐる問題イラスト画像

あなたが「外国人労働」と聞いたとき、どんなイメージが浮かびますか?
高いスキルを持つエンジニアや専門職? それとも、コンビニや工場で黙々と働く人たち?

実はそのどちらも、今の社会では“当たり前”として共存しています。
でも、その裏側には、見過ごされがちな格差や矛盾、そして声にならない思いがたくさんあるんです。

この記事では、香港やUAE、コロンビア、そして日本でのリアルな現場をもとに、
「外国人労働って、何が問題なのか?」を一緒に考えていきます。

むずかしい話じゃありません。
ほんの少しだけ、誰かの立場に立ってみる——そんなきっかけになればうれしいです。

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外国人労働の現実

外国人として日本や海外で働く人たちは、同じ「労働者」であっても、まったく違う扱いを受けています。

たとえば、高いスキルを持つエンジニアや通訳、研究者として来日する人たちは、空港に迎えが来て、良い給料や待遇が用意されていることが多いです。

一方で、建設現場や工場、介護など、いわゆる「きつい・汚い・危険(3K)」と呼ばれる仕事をするために来る人たちは、住まいや給料、労働時間などの面で厳しい条件を受け入れざるを得ないことが少なくありません。

どちらも同じ「外国人労働者」であるのに、スタートラインがまったく違う
この大きなギャップが、見えにくいけれど確かに存在しています。

香港の見えにくい分断

香港はアジアでも有数の国際都市で、金融・不動産・観光の中心地として栄えてきました。高層ビルが立ち並び、高級ブランド店が並ぶ街角の裏には、もう一つの現実があります。

それは「家の中にいる外国人労働者」、つまり住み込みの家政婦やヘルパーとして働く人たちの存在です。

多くはフィリピンやインドネシアなどから来ており、日中は掃除・洗濯・料理・育児をこなし、夜は家の中の小さなスペースやベランダの一角で眠るという生活。

休日は週1回、日曜のみ。その日も自由に過ごせるとは限らず、外出すら制限されるケースもあります。

「家族の一員」と呼ばれながらも、法的には労働者としての権利が制限されていることも多く、トラブルが起きても「生活の場=職場」であるため、逃げ場がないという現実があります。

同じ屋根の下にいながら、見えない境界線が引かれている。これは“家族”という言葉では覆い隠せない格差です。

香港のような最先端都市においても、格差は外ではなく、家の中で密かに広がっているのです。

UAEで見た“平等”の現実

UAE(アラブ首長国連邦)は、ドバイやアブダビといった世界でも有数の豪華な都市を抱える国です。ショッピングモールや高層ビルが立ち並ぶその光景は、訪れる人々に「夢のような豊かさ」を印象づけます。

しかし、その都市の土台を支えているのは、主に外国から来た労働者たちです。人口の約85%は外国人居住者で、多くが建設、清掃、警備、運転手などの職に就いています。

彼らの多くは南アジアや東南アジアから来ており、市民権を持たず、長期の滞在でも永住権を得るのは極めて難しいという現実があります。

多くの外国人労働者は、狭い部屋に何人もで暮らし、1日10時間以上、炎天下で働いている。月給は3~5万円程度で、自由に外出する時間もほとんどない。それでも、母国の家族のために仕送りを続けているんです。

これは、現地で暮らしていた筆者の友人が語ってくれた言葉です。

UAEはイスラム圏の国であり、「平等」や「慈愛」といった価値観を大切にする文化があります。

しかし、現実の労働環境を見ると、そこには大きな矛盾が見えてきます。高層ビルの影で、権利も声も持たないまま働き続ける人々の姿があるのです。

法律上は最低賃金が明確に設定されていなかった時期も長く、労働者は雇用主との契約に縛られ、労働条件の交渉が困難なまま就労せざるを得ないケースも多数報告されています。

「イスラムは平等を大切にする」とされながら、外国人労働者に対する現実は、まるで“別のルール”が適用されているようにも見えます。

それでも彼らは、母国に残る家族の生活を支えるために、毎日働き続けています。

“平等”という理念とは裏腹に、「耐えること」「黙って働くこと」が当たり前とされる現実が、今も静かに広がっているのです。

コロンビアの現実

コロンビアで暮らしていたときに見えたのは、貧しい家庭ほど真面目で時間を守り裕福な家庭ほど感謝や謝罪を口にしないという皮肉な構造でした。

たとえば、奴隷のような環境で働いている人たちは、朝の約束を守り、時間通りに現場へ来る。彼らは生活のために、与えられた仕事を丁寧にこなそうとします。

一方で、富裕層の家庭の子どもたちは、勉強を家庭教師に丸投げ。宿題も試験も「お金で解決」し、大人になったらそのまま親のコネで行政や企業に入っていく。

倫理より「勝ち方」を覚える教育。責任より「抜け道」を覚える文化。

こうした構造が放置されると、社会全体が“機能しているようで機能していない”状態になります。

富を持つ人が感謝もせず、時間にもルーズで、働く人に敬意を払わない。一方で、地道に働く人たちが報われず、声も届かない。

これは決してコロンビアだけの話ではありません。世界の多くの国で、「人として大切なこと」が富の大小で変わってしまうという構図が静かに広がっています。

日本での現実

日本でも外国人労働者は年々増えており、工場、建設、介護、農業など、生活を支える現場に多く存在しています。

一見、地域に溶け込んでいるように見えても、言葉の壁、制度理解の難しさ、相談先の不足といった困難を抱えています。

技能実習制度や特定技能といった制度があっても、長時間労働、パワハラ、低賃金などが問題化。

真面目に働く外国人が声を上げにくい状況もあり、「静かな搾取」が生まれています。

すれ違う誰かが「声を出せない働き手」かもしれない。その気づきが、日本社会を変える分かれ道になるのです。

見えない声と、変えられる未来

外国人労働の問題は、「かわいそうな誰か」ではなく、すぐそばにいる誰か、そして未来の自分かもしれません。

大きなことはできなくても、見方を変えるだけで世界は変わります

街で困っている人に声をかける、情報を調べて知る、まず「知らなかった」と気づくこと。

その気づきが、次の誰かを守る力になります。

私たちが暮らす社会は、誰かの働きによって支えられています。
その“誰か”の声を、少しだけ想像できたとしたら——
この社会はもう、少しだけ優しくなれるはずです。

今日からできることを、あなたらしい方法で。

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