パルテノン神殿のローマ帝国時代から現在までの歴史を解説!

パルテノン神殿のローマ帝国時代から現在までの歴史を解説!

パルテノン神殿とは、ポリス(都市国家)の一つであったアテナイの守護神であるギリシャ神話の女神アテーナーを祀る神殿です。

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アテーナーってどんな女神なの?

と思った方は、こちらの記事を参考にしてみて下さい。

古代ギリシア時代に、今では世界遺産として有名なアテナイのアクロポリス(小高い丘)の上に建設されました。

昔のパルテノン神殿(古パルテノン)についての歴史や作られた理由を知りたい方は、

こちらの記事をお読み下さい。

ここでは、パルテノン神殿のヘレニズム影響下から現在までの歴史をより詳しく書いています。

ヘレニズムとローマ帝国の時代

紀元前4世紀に入ると、アテナイはアレクサンドロ大王によるヘレニズム文化の影響下に入ります。

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アレクサンドロス大王によるヘレニズム文化?何それ?

と思った方は、

こちらの記事を参考にしてみて下さい。

ギリシア文化を後継したヘレニズム時代の王たちやローマ帝国時代のローマ皇帝ネロなどが、

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パルテノン神殿を(尊重しつつも)、自分の王位を権威付ける場として使おう

という目的を持っていたため、パルテノン神殿は結果的に保たれることとなりました。

その後、ゲルマン人の侵入による被害を受けることもありました。また、アテナイはヘルリア族西ゴート族に包囲されたこともあります。

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この時、パルテノン神殿は放火され被害を受けました…!

その後、ローマ皇帝

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パルテノン神殿を修復せよ

と命令しましたが、以前の姿に完全に戻すのではなく、屋根は部分的にしか架けられず、柱もヘレニズム的なものへと変えられました。

キリスト教会とオスマン朝モスク

その後の東ローマ帝国時代に、パルテノン神殿は劇的な変貌を遂げます。

6世紀から7世紀頃に、神殿はコンスタンティノープルエフェソステッサロニキに次いでキリスト教にとって4番目に重要な巡礼地となりました。

ラテン帝国時代には、聖母マリアカトリック教会として250年間使用されました。

このように、神を祀る様式がクリスチャンのものへ変更される中、パルテノン神殿は破壊され変化していきます。

1456年には、アテナイはオスマン帝国の占領下に置かれました。そして、パルテノン神殿はモスク(イスラム教における教会のようなもの)に改築されたのです。

オスマン帝国は領地の遺跡に対して、

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敬意を払って、無分別な破壊は行わないでおこう

としました。

しかし、戦時に防壁や要塞を建設するために遺跡の石材などを使う時もありましたし、ミナレット(塔)を増築したりもしました。それでも、神殿そのものには変更を加えていません。

パルテノン神殿の爆破事件

1687年に、神聖同盟に加盟したヴェネツィア共和国オスマン帝国が戦いました。ヴェネツィアがアテナイを攻撃した時、パルテノン神殿は最大の破壊を被ります。

オスマン帝国は、都市などを守るためにアクロポリスを要塞(ようさい)として使い、パルテノン神殿を弾薬の貯蔵庫としました。

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ヴェネツィア側が神殿を敬い攻撃を加えないだろう

と思い、ヴェネツィアとの戦争の時には、パルテノン神殿に女や子供を避難させていました。

しかし、ヴェネツィアは砲撃を加え、神殿の弾薬庫が爆発しました。そして、神殿の一部が破壊されたのです。

18世紀になると、オスマン帝国は停滞状態となります。その結果、ヨーロッパ人がアテナイを訪問する機会が増えて行きました。

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ギリシア文化は素晴らしいよな…。俺たち、ギリシア愛でいっぱいだぜ!

とイギリスやフランスで、ギリシア独立の世論が高まりました。

ギリシアの独立と返還問題

1832年に、ギリシア独立しました。

パルテノン神殿のミナレット(塔)は目に付く部分が取り壊され、アクロポリスに建つオスマン帝国などの建造物もまた取り除かれました。そして、残っていた建築資材を使って復元が行われたのです。

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ここでようやく、アクロポリスはギリシア政府が直轄して管理する歴史的地区となったのです!

一方、イギリスの伯爵が持ち去ったパルテノン神殿の彫刻類は、大英博物館に現存しています。

その他にも、神殿の彫刻はパリのルーヴル美術館コペンハーゲンなどにも保存されています。その中でも、最も所有点数が多い博物館はアクロポリス博物館です。

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パルテノン神殿の建物自体にも、若干の彫刻は残っていますよ!

1983年以降、ギリシア政府大英博物館に対して

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パルテノン神殿の彫刻返してくんないかな?

と返還するよう求めています。

しかし、博物館側は

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いやいや、無理っしょ!

とはっきりと拒否しています。その背景には、法律上の問題を重視するイギリス政府の考えがあるのです。このマーブル(彫刻)返還問題は、2019年となってもなお解決していません。

他にも、パルテノン神殿についての記事はまだまだあります。さらにパルテノン神殿について詳しく知りたい方は、


参考:パルテノン神殿大英博物館は「暗い檻」、ギリシャがエルギンマーブルの返還要求