『パイドン』に出て来る「魂の不死」について分かり易く解説

プラトンが著した『パイドン』。
死刑判決を受けたソクラテスが死ぬ前に弟子と一緒に魂について語っています。
ソクラテスが考える「魂」についてはまずこちらの記事をご覧ください。
今回は「魂の不死」についてのソクラテスの考え方をご紹介していきたいと思います。
「魂の不死」についての問答
ソクラテスの「魂」についての考え方に弟子であるケベスは反論します。
魂は肉体から離れると滅びるのではないですか?魂が肉体から分離しても存続し、何かしらの力と知恵を持ち続けることが出来るのはなぜでしょうか?

なるほど、そのような考え方も確かにある。では、魂は不死であるのかどうかを議論しようではないか
反対し合うものは循環している
ソクラテスはケベスに言います。
美と醜、正と不正などのように性質と反対物は相互に生成し合う関係(美しいものがあるから醜いものがある。美がなければ醜は生まれない。その逆もまた同様である)にあり、生と死も同じである。死者は生者から生まれ、生者は死者から生まれるという循環があるのだ。もし、循環がなく一方通行なものであれば、やがて全ての物は死んでしまうことになる
「想起説」による証明
ケベスがソクラテスに言います。
ソクラテスさんがよくおっしゃっている想起説は魂が人間に入る前に存在していたことが前提ですよね?

想起説って何?ちょっとど忘れしちゃって…。なぁケベス、思い出させてくれよ

あなたって人は…。はぁ…。想起説とは、人間にはあらかじめ知識が備わっていて、新しく知識を得るのではなく、失った知識を想起(思い出す)しているにすぎないという説です。つまり、人々は上手に質問されれば、どんなことについても自力で答えられるようになるということになります

例えば私たちが整った石材や木材を見て、「等しさそのもの」を認識したり、ガタガタの石材や木材を見て「不足している」と感じるのは、感覚を働かせる以前、つまり生まれる前に「等しさ」が一体何であるかという知識をどこかで得ているからである。しかし、その知識を私たちは生まれる時に忘れてしまっているのだ。そして、生まれた後、感覚や知覚をきっかけにして忘れてしまった知識を再発見していく作業が想起である。つまり、我々の魂は生まれる前から存在していることになる

なるほど…!分かりましたソクラテスさん!

しかし、想起論から分かることは人間の生まれる前に魂が存在することのみであって、人間の死後も魂が存在している証明にはなりません

先ほど言った生と死の相互循環による生成が証明されているのであれば、生前に魂が存在しているのであれば、死後にも魂が存在することになるが…。まぁ、おそらく君たちはもっとこの『魂の不死』についての議論がしたいのだろうな…

はい!よろしくお願いします!
「魂と不死」による証明
ソクラテスはとある定義をします。
合成されて出来たものは分解することが出来るが、非合成的なものは分解されない。そして何者であるかを持たないものが「合成的」であり、それを持たないものが「非合成的」である。

例えば、「美」そのものは何者であるかを持つ「非合成的」なものであるが、「美しい人間」は何者であるかを持たない形だけの「合成的」なものである

なるほど

何者であるかを持つものは、深く考えることでしか捉えることが出来ないものであるのに対して、それがないものは、感覚で捉えることが出来る。「美」は考えの中にあるが、「美しい人」は視覚という感覚で捉えることが出来るだろう。

さて、では「魂」と「肉体」はどちらに当てはまるだろう。もちろん、「魂」は感覚で捉えることが出来ないので、何者であるかを持つ「非合成的」側面を持っていると言えるだろう。それに比べて「肉体」は感覚で捉えることが出来るので、何者であるかを持たない「合成物」である。先ほど、合成されるものは分解されるが、非合成のものは分解することが出来ないと結論が出ているので、「魂」は分解されないはずだ

また、「魂」は神的・支配的な性格をもち、「肉体」は奴隷的・非支配的な性格であることも特徴だろう

分かります

もし「魂」が純粋な姿で「肉体」を離れることが出来たならば、神的なものや不死なものの方へと向かい、神々と共に過ごし幸福になるだろう。しかし、「肉体」の欲望・快楽に囚われた「魂」は純粋な姿で解放することが出来ず、墓の周りをうろつき、やがて獣の種族などの中へと入っていくだろう。また、習慣や訓練によって徳を実践してきた人々の「魂」は同じ人間の種族などへと生まれることが出来るが、神々の種族に仲間入りが出来るのは哲学を行った全く浄らかな者だけである。哲学者の「魂」は神的なものの元へと到達できるだろうし、何も恐れることはない
「魂の不死」とは?
ソクラテスは魂と肉体を切り離して考えています。肉体は滅びる(つまりは死ぬということ)はあっても、魂は滅びることはないとしています。
肉体が滅び、魂が肉体から分離する時に、肉体の欲望に染まっていない純粋な魂であることが大切であるとしています。
この純粋な魂を目指すことこそが、哲学者なのだとソクラテスは言っているのです。
参考:パイドン