ダレイオス1世の真実!『歴史』と碑文から分かる4つの真実

実は、カンビュセス2世とダレイオス1世との間には色々と噂があります。カンビュセス2世について詳しく知りたい方は、こちらの記事を先にお読み下さいませ。
カンビュセス2世とは?英雄によるエジプトの征服と挫折
カンビュセス2世は、ダレイオス1世の王位継承に大きく関わった人物です。ちょっとサイコパス的な彼の生涯とは、一体どんなだったのでしょうか?
カンビュセス2世が実の弟を殺した、とか。ダレイオス1世は、自身の策略によって王になった、とかとか。そんな彼の生涯とは、一体どのようなものだったのでしょうか?
『歴史』と碑文から分かる真実とは?
カンビュセス2世からダレイオス1世が王になるまでのお話は、ヘロドトスの『歴史』にある逸話や彼自身が残した『ベヒストゥン碑文』に残っています。
話は似ているので前半は統一したお話を、後半からはストーリーをそれぞれ別バージョンで書いて行きます。
歴史と碑文の共通ストーリー
カンビュセス2世(カンブジヤ2世)は弟のスメルディス(バルディヤ)を恐れていました。なぜなら、

王位を奪われるのではないか…?
と疑心暗鬼になっていたからです。そして、密かに弟を殺してしまうのです。この弟スメルディス(バルディヤ)が死んだ事は、誰にも知らされる事はありませんでした。
しかし、その後に事件は起こります。カンビュセス2世(カンブジヤ2世)がエジプトに遠征している最中、民衆の間で不穏な空気が流れたのです。

スメルディス(バルディヤ)王子、最近見かけなくね?
そして、ある僧が謀反を起こしたのです。この僧、どうやって弟のスメルディス(バルディヤ)の死を知ったかは分かりませんが、この事件に目を付けます。彼には、ちゃんと王位を覆す策略があったのです。
ヘロドトスの歴史による記録
なんと、この僧には容姿がスメルディスにそっくりの弟がいました。しかも、名前もスメルディスと一緒です。僧はこの弟を、

(殺害された)スメルディス王子である!
と王国全土に宣言し、王に仕立て上げたのです。
一方、カンビュセス2世はこの知らせを、エジプトからの帰り道シリアで聞かされます。

え?誰も知らないはずの事を、何でこの人達知っちゃってるの…?!
彼はめちゃくちゃ慌てうろたえた後、偽スメルディスを倒すため道を急ぎます。
しかし、この焦りが災いしたのでしょうか?乗馬する時に剣の操作を間違って負傷。そして、死んでしまうのです。
こうして、僧と偽スメルディス(弟)がペルシアの支配権を握ったのとさ。めでたしめでたし。

じゃないんです!
即位8カ月目に彼らは正体を暴かれ、ダレイオス1世を含む7人の同志はこの兄弟を引きずり落としました。そして、この7人はこの先の国の行く末を議論しました。
しかし、話はまとまらずゲームで王を決めることにしたのです。

馬に乗り、日の出と共に最初に鳴いた馬に乗っている者を王にする
と。
ダレイオス1世は、その時にちょっと汚い作戦を取りました。馬の世話役と繋がったのです。そのもくろみにより、彼は王となることに成功したのです。
ベヒストゥン碑文による記録
ベヒストゥン碑文によれば、僧の弟ではなく僧自身が

私がカンブジヤ2世の弟バルディヤだ!!
と偽って宣言するのです。そして、カンブジヤ2世を不審に思っていた民衆は、この僧の味方となって行きます。
ついに、僧は王となったのです。その後、カンブジヤ2世は寿命が尽きて死んでしまいます。僧はこの嘘を隠し通すため、

この真実を知っている者たちを、どんどん追放しちゃって!!
と命令します。このために、多くの人達はひどく恐れ、何も口出しする事はなくなったのです。
そんな中、正当な王家出身のダレイオス1世は、神に助けを乞い恩寵を得ます。その結果が、僧とその側近たちの殺害でした。
こうして、ダレイオス1世は王国を僧から奪回して、神の意思により王となったのでした。めでたしめでたし。
ダレイオス1世は王位を奪った?
近年では、これらの記録は信用されていません。と言うのも、

ダレイオス1世が王位を奪い取って即位し、この事実を正当化するためにでっち上げた物語だ
という見方が有力だからです。なぜなら、この偽スメルディス(ガウマータ)事件の言い伝えには矛盾があるのです。なので、このダレイオス1世の王位継承までのお話は、

彼のためのプロパガンダである
と思われています。
ダレイオス1世に関する『ベヒストゥン碑文』には、彼の祖先がずらりと書かれているのですが、その中に王となった人物はいないのです。また、アケメネス朝ペルシアの初代王となったキュロス2世は、

私はキュロス。偉大なる王にして、カンビュセス(キュロス2世の父親)の子である。また、アンシャンの王キュロスの孫であり、テイスペスの末裔である!
としか宣言していません。彼の主張は、キュロス2世までの家系図を見てみると、確かに彼はアケメネス家の末裔であることが分かります。
ダレイオス1世は王位に就いた後、キュロス2世の名前で

アケメネス家のキュロスより
と刻んだ碑文を数多く残しています。そんなキュロス2世についてさらに詳しく知りたい方は、
『キュロス2世』とは?アケメネス朝ペルシア初代国王の功績
キュロス2世は、アケメネス朝ペルシアの初代国王です。彼の功績は、古代エジプトを除いた全ての古代オリエント諸国を統一して、大帝国を築いたことでした。そんな栄光あるキュロス2世には、壮絶な過去や英雄としての逸話があります。果たして、その内容とは?!
こちらの記事をお読み下さい。
さらに、キュロス2世やカンビュセス2世、スメルディスの妻や娘全員と結婚しています。このように、王家の血統に対しての執拗なこだわりを見せていたのです。
こういった碑文による記録から、カンビュセスの元槍持ちだった彼は日本で言うところの下剋上者であり、彼の時代から(アケメネス朝)ペルシアの歴史は再スタートしたのです。
そんなダレイオス1世は、あの有名なペルシア戦争にも関わったほどの歴史上の偉人です。そんな彼について、さらに詳しく知りたい方はこちらの記事もお読み下さい。
ダレイオス1世は何した人?アケメネス朝王8つの功績まとめ
ペルシア戦争のきっかけを作ったアケメネス朝王の第3代目ダレイオス1世。彼の残した業績を、簡単に分かり易くまとめてみました!
参考:ダレイオス1世