ソクラテスにとっての正義や真実とは?【ソクラテスの弁明】

ソクラテスにとっての正義や真実とは?【ソクラテスの弁明】

『ソクラテスの弁明』は

裁判画像

青年を腐敗させ、国家の信じる神々を信じず、新しき神霊を信じる

という罪で訴えられてしまったソクラテスが裁判中に語る自己弁護を描いたものです。

なぜソクラテスが訴えられてしまったかの経緯はこちらの記事にてまとめていますので、こちらをご覧ください。

この記事ではソクラテスの言葉から、彼にとっての正義や真実について考えていけたらと思います!

『ソクラテスの弁明』

最終弁論の前にソクラテスの弁明の流れを知りたい方は以下の記事を参考にしてください。

最終弁論

最終弁論では判決前にソクラテスが陪審員に訴える独白になっています。

私が恐れていてるのはメレトスを含む告発者ではありません。私が本当に恐れているのは大衆の誹謗中傷です。きっとそれはこれからも続いていくのでしょう。

自分の行っていることを大衆に非難され、死の危険に晒されるようなことであっても、決してそれを止めてはいけません。

なぜなら、それが神から与えられた持ち場だからです。死を恐れてそれを放棄するということは神を否定することになり、それこそ神への不信になってしまうのです。

また、死を理解している人間など誰もいません。つまり、死を恐れること自体、賢人を気取ることになるのです。

なので、もしこの裁判で私が死罪にならず釈放されても、私は自分の姿勢を決して変えません。

私は人ではなく、神に従います。

私にとって死刑や追放などはそんなに大したことではありません。

それよりも正義に反することの方が重大です。

私がここで弁明しているのは陪審員のため、そして私のような人物を失ってしまうことがないように弁明しているのです。

皆さん考えてみてください。

私は長年、家庭を顧みず、貧乏で、どんな人にも家族のように近付き、無報酬で教えを説いてきました。

これはもはや人間業ではありません。

ではなにか?これが神の賜物です。

私は幼少期より神的な「声」を聞いていました。

その「声」は何かがあることを禁止したり抑止したりする、私の警告を示していました。

なので私は政治には関わってきませんでした。

おそらく、もし私が政治に関わっていたら、私は既に死んでいたでしょう。

本当の正義の為に戦うことを欲するならば、公人ではなく私人として生活すべきです。

私の唯一の公職経験である評議員時代、戦いが終わった10人の将軍に違法な有罪宣告に対して、一人で反対したことにより演説者や大衆の怒号を受けたこともあります。

私は公人としても私人としても態度を一切変えてきませんでした。

公人として政治に関わることが少なかったから、こうして長い歳月を生きることが出来たのです。

私が問答をする時は政治家だろうと譲歩をしたことはありませんでした。

報酬を受け取らず、貧富の差別をせず、いまだかつて誰の師になったこともありませんし、誰かに授業を授けたこともありません。

私の仲間になっている人々は賢明とうぬぼれている人が吟味されているのを見るのが楽しいのでしょう。

しかし、私自身は神からの使命としてこれを行っているのです。

もし私が青年たちを腐敗しているのであれば、彼らの家族や一族がここに復讐に来てなくてはおかしいでしょう。

しかし、私を支援してくれる青年たちが今日も来てくれています。

ソクラテスは大衆の非難より自分の信じた道を突き進むということを強く訴えています。

正直、私はこの部分を読んでいて、

鈴木園子画像

ソクラテスって炎上したユーチューバーみたいだなぁ

と思ってしまいました。

もちろん、ソクラテスは自分のやりたいことのためにというよりかは神の使命としてそれを行っているのですが、世間の目を気にしないというのはなかなか出来る事ではありません。

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そんな彼だからこそ、多くの青年が彼を慕い付き従ったのではないのかな

と思います。

大衆よりも神の使命に従い行動するということが彼にとっての正義だったのです。

補足

ソクラテス最終弁論の補足をソクラテス自身でしています。

弁明として言いたいことは言い終えました。

皆さんの中には私が涙を流したり、少しでも同情をひくために子どもや親族、友人を法廷に連れてくるだろうと思われた方もいるかもしれません。

けれど、私はそうはしません。

私や皆さん、そして国家にとってもそれは不名誉だからです。

陪審員の皆さんは法律にしたがって事件を審理しなくてはいけません。

メレトスの訴状の通りであるのか、そうでないのか。

私は最も善い裁判がなされることを陪審員の皆さんと神々に委ねたいと思います。

有罪もしくは無罪かの投票。

結果約280対220にて有罪決定

刑量についての弁論

有罪が確定したソクラテスの罪の重さについての自己弁論。

こちらもソクラテスの独白です。

私にとって有罪決定は予想通りでした。

むしろもっと多くの票差がつくと思っていましたが、30票と意外に僅差でした。

告発者は死刑を求めていますが、それに対して何を言えばいいでしょう。

私はプリュタネイオン(役所、会議所、宴会場などを兼ねたアテナイの中心施設)での食事をさせてもらうことこそふさわしいと思います。

*プリュタネイオンでの食事はオリュンピア競技の優勝者などに与えられる当時のアテナイで最高の表彰でした。

これは決して傲慢から言うのではありません。

私は自分が故意に不正を行ったことがないと確信をもって言えますが、それを皆さんに信じてもらうには時間が足りません。

それに、刑罰についてどのような提案をしていいのかが思いつきません。

投獄されて奴隷生活を送ればいいのでしょうか。

罰金刑になったところで、払えるお金がありません。

追放されても、追放された町々で私は同じことを繰り返すでしょう。

追放先で静かな生活を送ることなど、私には出来ません。

それは神の命に背くことになります。

また、人間の最大の幸福は毎日、徳について語ることであり、魂の探求に他ならないからです。

私は無一文ですが、私を慕ってくれている人たちが私の保証人になってくれるというので、罰金30ミナ(当時の通貨の単位)を提案します。

刑量についての投票。

約360対140にて死刑確定

ソクラテスの正義

この部分で、ソクラテスの死刑が確定してしまいます。

有罪確定した後に、オリュンピア競技(現在のオリンピックの元になった競技ですね)の優勝者と同じような待遇を要求するあたり、さすがのソクラテスという感じです。

鈴木園子画像

おそらくこの時に、死刑より少し軽めの罪を訴えていたらソクラテスは死ぬことはなかったんじゃないかな

と思います。

しかし、ソクラテスはどこまでも潔白でした。

彼は何か言い訳をするわけでもなく、自分の信じてきた価値観(正義)を陪審員に語ったのです。

ソクラテスの死刑が確定した後、彼は最後に彼の死生観について語りかけます。

そちらも気になる方は別記事をご覧ください!


参考:ソクラテスの弁明